言いたいことがなにもない

プライベートな日記です

この半年読んで面白かった本10冊まとめ(2015年6月まで)

毎年「今年読んで面白かった本」を10冊選んでブログに書いている。去年からは半年に一回まとめるようになった。

今年読んで面白かった本10冊 - はてなの広告営業 mtakanoの日記(2010年)

今年読んだ本のマイベスト10 - はてなの広告営業 mtakanoの日記(2011年)

今年読んで面白かった本10冊(2012年) - はてなの広告営業 mtakanoの日記

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面白かった本10冊まとめ(2014年1月~6月まで) - 言いたいことがなにもない

面白かった本10冊まとめ(2014年7月~12月まで) - 言いたいことがなにもない

 

こうして見ると、もう60冊を選んできたことになる。読書ペースは多少落ちてきたものの、自分が読みたい本とその嗜好がぼんやり分かってきたので、より自分の血と肉になる本が読めている気がする。


ヒトラーランド

ドイツでどのようにナチスが拡大したのか、そこで過ごす人々の様子はどうだったのか。当時をドイツで過ごしていたアメリカ人達の記録を丹念に書くことで、今振り返るドイツではなく、その時々でどう受け止められていたのかが生々しく伝わってくる。

今の日本も、いつの間にか病が進行しているように思えていたから、身に迫る思いで読んだ。感想もブログにまとめていた。

mtakano.hatenablog.com

 

ヒトラーランド――ナチの台頭を目撃した人々

ヒトラーランド――ナチの台頭を目撃した人々

 

 

君は永遠にそいつらより若い

大学生くらいの頃に出会いたかった本。主人公が変わり者の大学生だからか、一見するとフワッとしてのんびりしたユーモアのある青春小説。けれども読み進めていくと時折暴力、虐待、自殺、レイプなどの陰惨な世界が垣間見える。それでも皆生き生きとしていて、生命力に溢れたみずみずしい小説だ。
タイトルからしてパンクでかっこいい。フワフワしながらも、強い芯がある。著者も音楽好きらしく、登場人物がソニックユースのシャツを着ていたりしていた。タイトルが示すように、辛さもあるけど希望のある、とても心に残る小説だった。 

君は永遠にそいつらより若い (ちくま文庫)

君は永遠にそいつらより若い (ちくま文庫)

 

 

極北

壮絶な小説だった。極北が舞台のディストピア。四部から構成されているが、その中で主人公の旅は目まぐるしく予想もしない方向に移り変わっていく。
寒々しい極北を舞台に、孤独な主人公が旅をしていく物語。旅が進むにつれて、わずかな生き残りの人々と、廃棄された文明に出会うのだ。文明はなぜ廃棄されたのか。今この本は、311の前にこの物語は書かれていた、と紹介されており、それはネタバレといえばネタバレなのだが、その程度ではこの本の壮絶さが薄れることはない。むしろその文句で興味を持って持つ人が増えて欲しいとさえ思える。
人類の傲慢さへの警鐘であり、残酷さであり、希望の話。311の後により一層意味を持った小説。

 

極北

極北

 

 

ピース

Twitter文学賞をとった小説。一言で言えば一人の老人の回想の話なのだが、とても不思議な小説で、本の迷宮、神話の中に取り込まれた感覚になる。実は古い小説だと言うのが驚くくらいに斬新で実験的。時制、主人公、さらには舞台がリアルからファンタジーへとコロコロ変わっていく。それは人の思考は一貫していないことを表現しているのだろうか。ふと昔読んだ物語が挿入されるが最後まで完結せずに本文に戻る。ただ後になって比喩であったことがわかる、そのような展開が最初から最後まで続いていく。全くつかみどころがなく、それがゆえにスケールが大きい。

 

ピース

ピース

 

 

自由からの逃走

ナチズムの病理を解くという背景で書かれた本。フロムの本は昨年から読み始めているが、全てが一貫している。読んでいると、ヒトラーランドと同じく今の日本の危険な状況が身に迫る。

中世封建社会から、人は制限された自由の中にいた。それから人は自由を求めてきたのだが、その結果、いざ自由な状態になるとそれは他者との結びつきや保護のない、集団から切り離されて一人でいきていくしかない孤独なことでもあった。

特にそれに不安を感じるのは中産階級貧困層などで、 これが自由から逃走し新たに集団に帰属し依存する、つまりファシズムへと走ってしまったのだと解き明かす。そしてそれはまた権威に隷属しがちである。

人は自由を享受するためには、自発的に自己も含めて他者も愛すること、そして生産的な仕事の中で他者と繋がらなければならないのだ。

自由やファシズムに負けないよう、そして自分がより良く生きていくための指針になるような本だ。フロムの本はこれから何度も読み返していきたい。

自由からの逃走 新版

自由からの逃走 新版

 

 

おどろきの中国

中国はすぐ隣にあり、歴史的にも深いつながりがあるのに、実の姿をほとんど知らないし、謎に思う側面が多い。でもこの本を読んで、おぼろげながらも全体が見えた気になった。
そもそも中国とは国家なのか。二千年以上前に統一され、トップが変わってもあれだけ広い土地と国民が、漢字の表記は一緒でも発音は様々というのに、長く国家という認識をもっているのは外からは不思議なことに見える。だがこれが中国の人々には不思議ではないことを理解しないと、中国がわからない。政治的統一を第一に考えること、中華思想や幇、儒教の考え方を知らなければいけない。
そうして少しずつ歴史と考え方を紐解くと、なぜ歴史問題でこれだけすれ違いが生じてきたのかが薄っすらと見えてくる。
中国と日本との間にあった文脈、日本が伝統的にどう見られていたのか、日本が大東亜戦争と言いながら矛盾した態度をとっていたことがどう見られていたのか、暗黙の了解的なものにより、本来戦争や靖国神社尖閣諸島をどうすり合わせしていたのかが分断されてしまい、現在のようになってしまったのではないか。

色々な困難も感じるが、中国の人びとの考え方などへのスケールの大きさも感動する。とても面白い国で尊敬の念を抱く。こんなに合理的な選択をする人たちには日本はそうそう勝てない。共産党一党独裁は続くのか、という程度の話では、きっと彼の国への理解が及ばなくなるだろう。

残念ながら日本は中国を嫌うムードになってしまっているが、それよりもまずは中国をもっと知ることが必要ではないかと思った。

 

おどろきの中国 (講談社現代新書)

おどろきの中国 (講談社現代新書)

 

 

HARD THINGS

著者であるベンホロウィッツが、自伝的にこれまでの経営の中でぶつかった困難をものすごく具体的に語る。
経営指南書、経営学の本はあれど、このように具体的に事例ベースで書かれた本は他にあるのだろうか。経営者、独立したい方にとってはとても勉強になり、困難にぶつかった時に度々見返すのではないだろうか。僕は独立したい気持ちはないが、それでも経営側の気持ちが多少なりとも分かる、とてもためになる本だった。とはいてベンチャー企業のマネージャークラスでも、人材採用やマネジメントの話が書かれているので、具体的にためになる話は結構多い。

 

HARD THINGS 答えがない難問と困難にきみはどう立ち向かうか

HARD THINGS 答えがない難問と困難にきみはどう立ち向かうか

 

鹿の王

読む前から絶対に面白いことが分かっていて、案の定読み始めると止まらなくなった。

著者が文化人類学にも詳しいため、単なるファンタジーではなく、宗教による対立、民族による対立が描かれていたり、それぞれの民族ごとで描かれている文化も、裏側に細かな設定があるのでは、と思わせる緻密さがある。さらに人の描写も非常に上手いので、ファンタジーだけどリアリティがある。

複雑な問題を扱いながらも、人々がそれぞれの信じるもののために必死で戦い、生きていく姿から、素直に楽しめるはず。

 

 

データの見えざる手: ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則

ウェアラブルがブームになっている。それで何が実現されるのかはいまいちよく分かっていない。この本を読むと、ウェアラブルがもたらしうる未来が少し見えてくる。著者は今のようにウェアラブルがブームになる前から開発とテストに携わっており、なんとすでに数年間身をもってあらゆるデータを計測し、実験してきたという。紹介されるエピソードがまたワクワクする。ハピネスを測ったり、効率的な職場にする要因を調査したり、店舗の売り上げを上げる方法を経営コンサルとコンピューターでそれぞれ実践させ対決させたり。だいたいにおいて、人間の直感や論理とは違った結果が見出されることにひたすら驚く。

 

コンテンツの秘密―ぼくがジブリで考えたこと

コンテンツという言葉はよく聞くが、ではそもそもコンテンツとは何なのか。良いコンテンツとは何か、ヒットするコンテンツの要因は何か、天才とは何なのか。これらがわかりやすく整理されていてとても面白い。

コンテンツを芸術作品ととらえると、この本に対して一部の人は反発するだろうし、この本で語られる文脈とは違った奇妙な大ヒット作が生まれることもある。

それでもここで書かれている、コンテンツとは現実の模倣であり、人の脳が見ている世界をいかに描くかであるという視点は面白い。自分に子供が生まれて一層実感するものがある。

だから、たくさんの表現パターンが出尽くして、なおかつこれまで誰も見たこともない、そして自分の脳の中にある姿を描こうとするクリエイターは天才であり孤独なんだな、と思った。

 

この半年間は、おもしろい小説にもたくさん出会うことができてよかった。また次の半年も面白い本にたくさん出会えるだろう。

娘がアデノウイルスにかかった

朝起きたら娘が鼻水をズルズル啜っていて身体が熱い。熱を計れば39度以上ある。当然保育園には行けないので、僕と奥さんで代わる代わる休んだり、早退したり遅れて出勤したりした。

病院に連れて行くとアデノウイルスだという。これはあと数日は治らないと覚悟を決めた。途中でお義母さんに来てもらった。ときに40度を超す熱が出ながらもそれなりに元気だった。だがいつもより寝る回数は多いし、普段は食べ過ぎて心配になるご飯をなかなか食べなくなった。あんなに大好きだったバナナも途中で残す。夜の寝かしつけが終わって部屋から出ようとするとすぐに起きて泣いてしまう。心配だけれど、安静にしてもらって治るのを待つしかない。

そんなある日、娘が窓から外を指差して「うわあ!うわあ!」と叫んでいる。どうしたのかと窓の外を見ると、鳥が二羽飛んでいた。僕にとってはすでになんでもない光景だけど、都会で暮らす娘には、たまに見かける動物の姿が貴重なんだと改めて知る。この土日までに元気になったら、動物園に連れて行ってあげようと決めていたところ、見事に土曜日に復活した。

そこで義母も連れて動物園に。思ったほど大騒ぎしなかったけれど、それでも興味深そうに色んな動物の姿を見て歩き回っていた。

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今ではもうすっかり元気で、安心した義母も実家に帰り、また娘の鼻を啜って取り除いていた影響で僕の鼻水が止まらなくなったりした。あと風邪の期間、せめて果物だけでも食べてもらおうとバナナを中心に色んな果物をあげていたところ、すぐにバナナバナナと泣き叫ぶようになってしまった。

とはいえこうしていつもの日々が戻った今夜、奥さんと娘は一足先に寝た。
もう大変なので風邪はひいてもらいたく。でもこの数日義母がいて賑やかだったし、それどころか寝かしつけて部屋から出ようとすると泣き叫ばれたりして困ったことさえも、懐かしく思っている。


週末の幼児食 夏野菜のラタトゥイユとバナナのパンケーキ

週末は娘の幼児食にもできる大人のご飯を作り置きしておくようにしている。今日はラタトゥイユとバナナのパンケーキ、ニンジンの葉っぱで常備菜を作った。



大体レシピに書かれている塩の分量をかなり減らしたり、砂糖ではなくみりんを使うなどをして幼児食になるようにする。とはいえただ薄味にするのではなく、ダシの旨味をしっかり感じられるように考えながら作る。
大人はあとで塩コショウをふったりするが、ダシの旨味があると案外薄味でも美味しい。

あとは土曜日に作っておいたポトフをスープにした。

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この週末の仕込みによって、もう2日間は大人と娘の夕食についてあまり考えなくて済む。
夜は奥さんが保育園に迎えに行ってるんだけど、仕事の都合で少し遅い時間になる。早くご飯を食べさせて寝かしつけさせたいと思うと、週末や平日の夜に作り置きしておく必要があるのだ。

娘の幼児食を作るとき、大体1食で8〜10種類くらいは摂取できるようにと思っている。その他に1日の中で肉と魚がちゃんと食べられることと、緑黄色野菜とタンパク質がちゃんととれるように。幼児食の本を読むと、あらゆる食材をあげなければ!という気分になってしまうので、これだけを考えるようにした。

今日は15種類入っているのでかなり栄養価も高いはず。でも食材にかかった金額は、調味料を別として1000円程度なので、これで3日間は家族三人の夕食がまかなえることを思うと自炊はすごい。

土日は家族三人で笑いながらゆっくりと食卓を囲める。こういう時間を大事にしてあげたい。

最新版 パクパク幼児食 (主婦の友新実用BOOKS)

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幼児食にもなる塩だれ焼きそばの簡単な作り方

奥さんが会社の人とバーベキューに行って、余った焼きそばの麺を持って帰ってきた。
せっかくだから娘に食べさせようと思ったけど、まだ1歳の娘にジャンクな粉末ソースで味付けした焼きそばをあげたくなかった。

そこで塩だれの焼きそばにすることにした。しかし塩辛い塩だれではなく、まろやかな優しい塩だれにするにはどうしたらよいかと、試しにみりんを入れてみた。すると、かなり優しく美味しい味に仕上がった。


まず、野菜を炒めた後で焼きそばの麺を加え、焼けたらお酒でほぐす。そのあとで、混ぜ合わせておいたタレを加えた。

ごま油 大さじ2
鶏ガラスープの素 小さじ1
塩 小さじ1
みりん 大さじ2
レモン汁 小さじ2

これで出来上がり。
大人が食べるなら、これにコショウを入れるとよりパンチが効いたはず。だが幼児食にするので、辛味の投入はあきらめた。
野菜をちゃっちゃと切れば10分程度で作れるからとても楽だということも分かった。

味見したところ、大人にはちょうどいい濃さだったけど、娘には少し濃く感じたので、出来上がった焼きそばを取り分け、軽くお湯に浸してタレを落としてからうつわに盛った。味が消えてないかと少し味見したけど、むしろ上品で美味しかった。味付けが仕上がっている料理は薄味でもちゃんと美味しいのだ。

その焼きそばと、昨日の残り物の味噌汁(冷凍の野菜と豆腐も少し加えた)と、薄味で作っておいた豚の角煮の脂身を抜いたものと大根をほぐしたものをおかずにした。メロン半玉が見切り品で200円で売っていたので、それを少し取り分けてあげた。
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葉物と魚がないが、それは朝に食べさせたので、肉や大豆類などタンパク質を多めにした。

これで大人の料理に少し手を加えるだけで、娘の幼児食も完成だ。家族で同じ料理を食べた。

塩だれ焼きそばは好評で、一心不乱に食べてくれた。良かった。
あと初めて食べたメロンが、やはりというか異常なくらい目を輝かせ、最後にデザートとして出した時に「うお‼︎うお‼︎」と椅子に立ち上がって指差していた。食べたことなくても、甘い物だと分かるんだな…。

とりあえず今日の塩だれ焼きそばは野菜だけで作ったけど、豚肉を入れたらもっと美味しくなるはず。簡単だし、娘も大喜びで食べるからまた今度作ってあげよう。海鮮にしたらさらに美味しくなりそうだけど、エビやイカやアサリは、アレルギーが怖くてまだ食べさせてないんだよな。もうそろそろいいのかなあ。

よりよく生きることが、運命への最高の復讐

レディオヘッドのトムヨークがどこかで「世界に復讐するために音楽をやっている」と言っていた記憶がある。

自分をトムヨークになぞらえるほどおこがましくはないが、ルサンチマンが自分のモチベーションだった。

とある人に指摘されたのだけど、僕のブログは「マジョリティに対して教室の片隅で俺はあいつらには交わらない」と思っていたことが滲み出ていると言われた(本当はそんなに格好良い言われ方はしておらず、もっと細かなディテールで描写されてしまったのだけれど)。

実際に大体合っていて、半分無意識でそのように感じている人、感じていた人に伝えたい気持ちがあったと思う。ビジネスマンとしてある程度軌道に乗り始めてきた分、どこかで心情の吐露をすることでバランスを取ろうとしていたのだろう。とはいえ自分が昔抱えていたこと、出会ってきた具体的なディテールについてはリアルでも言うことはなく、墓場まで持っていくだろうけど。

それでも実は思ったよりも友達がたくさんいたことに気づいて、結婚して、子どもが生まれた今、もっとポジティブな新たなモチベーションが生まれつつある。
ただあえて言い表すならば、living well is the best revenge,よりよく生きることが、運命への最高の復讐だ、としか言えないところに生まれもったひねくれ加減が現れている。
ひねくれているかもしれないが、例え今幸せになりつつあっても、過去に辛く苦しかった記憶を全て忘れてしまって「あー僕にもそんな時代があったね」などと大人ぶって語る時がきたなら、その時は人生に敗北した瞬間だろう。

村上春樹の有名なスピーチの一節を引用すると、
「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」
壁と卵があるなら、僕も一生卵の側でありたい。


アムニージアック

アムニージアック


Accelerate

Accelerate



町を見下ろす丘

自宅前の道路を挟んだ向こうに線路があり、朝早くから夜更けまで電車が走っている。家の中にいてもうっすらと電車の走る音が聴こえる。だからか、片手で数えるほどしか言葉が話せない娘が早くも「でーしゃー!でーしゃー!」と言えるようになった。電車が通るのが見えると、指をさした後で手をバタバタとさせて喜んでいる。
静まり返った夜中、聴こえる電車の走る音が寂しい。僕の実家は車文化だったから、大人になって東京に出るまでほとんど電車に乗ることはなかったのだが。電車が通り過ぎる音を聴きながら家族で眠る。

自宅のマンションからは電車だけでなく、川向こうに建つデパートや高層マンション、またすぐ近くにはいくつもの住宅や公園、学校、そして自転車が通り過ぎる様子や明かりが灯っていく様子、朝から夜までそれらの人の営みが見渡せる。休日にマンションの廊下から公園を見下ろすと、たくさんの親子がボールを投げ合ったり走り回ったりと遊んでいる姿が見える。

10年と少し前、広く町を見下ろせられる家に住んでいた。一軒家の二階の一部屋を間借りしていたのだ。その家は少し高くの丘の上に建っていて、部屋の窓も大きく、周りに遮るものもなかったので、今よりもさらに広く町の様子が一望できた。よく晴れた日は、遠く山の向こうまで住宅やデパートが見えた。

当時の僕はフリーターで、特にやることはなかった。バイトの深夜勤務を終えた早朝、仕事に向かう人の流れに逆らって帰っているか、もしくは夕方に世間がそうするよりも一足先に帰ってきていた。
家に帰ると、電車が都心に向かっていく音、子供達が大騒ぎしながら学校に向かう声が聞こえた。暗くなるにつれて明かりが灯っていく様子、それからまた消えていく様子も見えた。それらをぼんやりと眠りながら聞いていたり、窓からただ眺めて暮らしていた。

町を見下ろす丘

町を見下ろす丘


ライブで演奏者側が音量が大きくする理由の私見

このエントリを読んだ知り合いが「なんで耳栓が必要になるくらい大きな音量でライブをやるのか。クラシックならアンプも使っていないし、必要ないではないか」と言った。

sauce3.hatenablog.com

ライブの音量が大きくなる理由はいくつか考えられ、勝手に分類してしまうと、演奏者のエゴ、表現、スタイル、エンターテイメント性、思想があるのではないかと思う。

演奏者の話なのでPAが下手、会場のハコの響きや設備がダメ、というのは除く。

演奏者のエゴ

演奏初心者がバンドを組んでスタジオに入ると、大体他のメンバーの音を聞かずに自分の音だけを聞いて興奮しているので、自然と自分のパートの音量を上げてしまう。
他のメンバーの音量がさらに大きいと、負けじとより自分の音量も上げていき、結果的に全員爆音で何を演奏しているのか分からなくなる。
バンドとして経験を積んだり、上級者が入ってくると、ボーカルやドラムの音量を基準にしたり、全体の音像を考えて配置していくので問題はクリアになる。
ただこれは初心者のケースとはいったものの、やっぱり自分のパートの音量を大きくしたい、目立ちたい、とはどうしても思ってしまうものだ。

ジャンル(スタイル)

例えばヘビーメタルの流れを組む一時期のビジュアル系なんかだと、ドンシャリ系という中域を大幅にカットし、低音と高音の帯域を極端にあげる、というサウンドが主流だった。このサウンド自体、迫力を求めているがゆえに音量が小さいと非常に間抜けに聞こえてしまう。
 
ドンシャリ系は別としても、パンクやヘビメタのようなアナーキーな風貌のバンドが小さい音量で演奏していたら、相当に間抜けっぽい。
一方でスタンダードジャズが爆音ということはない。爆音のジャズはジャンルが変わる。そう考えるとまず音楽のジャンルがあり、さらにはそれをどういうスタイルで演奏するかでも決まってくる。
 
そういえばThe Whoは音が大きすぎて最前列の観客の鼓膜を破ったというロック伝説がある、とタモリ倶楽部で言っていた。だがその後同じ出典を見かけたことがないため、都市伝説かもしれない。でもピートタウンゼントが腕をブンブン振り回しながら、ギターの音が小さくてペケペケしていたらコメディっぽい。だからある種のロックバンドなんかは、やはり音量の大きさは切り離せないと思う。

エンターテイメント性

音楽フェスがより一般に浸透していった影響か、ベースの音量を大きくしてノリやすい、踊りやすい四つ打ちサウンドを構築するバンドもしばらく前は多かった。
こうすると、大きめにするとは言えブーストした低音をもとに全体のバランスを作りたくなるため、結果的に全体が大きくなってしまうことがある。
ただテクノのイベントなんかだと分かりやすいけど、低音が大きいだけなら耳への負担は幾分マシなはず(真偽は不確かなので、自己責任で)。耳を傷つけるのは高音域が原因で、ドラマーなんかだとハイハットシンバルがある左側の耳の方が難聴になってしまうケースがある。

表現方法

楽譜でもクレッシェンド、デクレッシェンドがあるように、演奏の中で静かなパートと音量が大きいパートを使い分けることで、それぞれの表現を際立たせることができる。それを追求した結果、一曲のなかに耳をすます程の静寂と聴くものを圧倒する爆音をもうけることで一つの表現にしているバンドもある。
このようなバンドが静かなパートを演奏するとき、観客も耳を澄まして聞く必要があるくらい極端なこともあり、ものすごい緊張感が漂っている。爆音は勢いで成立することもあるが、静かな音はその人の演奏力や表現力が露わになるので誤魔化せない。またそれは爆音のパートがあってより凄さは際立つ。改めてだが、そうすると先ほどスタイルという項目で語った迫力という観点とは別に、曲の構成として大きな音量のパートが必要になる。
ただこのようなバンドを音像にも相当こだわっており、爆音というか轟音にすることで、音は大きいが耳はそこまで痛くならない、音を浴びる、音に包まれているような体験をさせてくれることが多い。
 
あとは、ギターの音の作り方、出したい音によっては、ある程度以上の音量にしないとベストな響きにならないことがある。
極端な例だと、ノイズギターを出すとき、これも心地よいノイズと不快なノイズ、どちらも表現としてあるのだけど、ある程度の音量と圧力がないと説得力がない。

思想

マイブラくらいのバンドになると、なぜ爆音を出すかというとそれは表現を超えて思想、もしくは人生だ。
再結成の来日公演に行ったら耳栓が配布され「こんなものを使うのは軟弱で邪道だぜー」とか思っていたが、最後にyou made me realizeを超爆音で30分やっていた時、流石に途中で耳というか脳みそが痛くなって耳栓をした。耳栓をしても爆音だった。

最後に

僕は特に聴いているアーティストではなかったが、アンドリューW.K.が「始めてクラシックを聴いた時に、こんなにたくさんの楽器を使って一斉に音を出してまで伝えたいことがあるのかと思った」とインタビューで答えていて、納得感があった。
 
世の中、声だけがデカいつまらない人間が幅を利かせていることは往々にしてある。それなら本質的にマイノリティーであるロックバンドなんかは、せめて音楽くらい大きな音を出すしかないだろう、と僕は思う。
 
なんて格好良いことを言ってみたが、元のエントリはアイドルのライブについてじゃないか。 俺もおっさんだからそろそろ耳栓するかな。
Loveless: Expanded Remastered Edition

Loveless: Expanded Remastered Edition