言いたいことがなにもない

プライベートな日記です

数年ぶりの風邪

わざわざ大人になってから風疹にかかったり、みんなで同じ鯖を食べてわざわざ僕だけが食当たりになったりしたことはあったけど、風邪をひいたのは3年ぶりくらい。38度あった。何をしていても喉が焼けるように乾くし、頭も痛いし、身体が熱い。いかにも体調が悪いというのは久しぶりの感覚だ。

またよりによって仕事での大きなリリースが済んで、お客さんと楽しく打ち上げるぞ!という当日にわざわざ風邪をひき、僕だけがキャンセルになった。
医師でもあった森鴎外は「風邪というものは寝ていさえすれば治る。それ以外に治療法はない」と言っていたらしい。実際に風邪薬は対症療法でしかない。ひたすら布団の中で汗をかいて睡眠をとるべきだ。
そういうわけで早めに帰って寝たけれど、みんなが楽しそうに飲んでいるという悪夢をみた。実際楽しかったらしい。良い話。

年末から仕事で色々と取り組んでいたものが次々とリリースされ、まだ全部終わってはいないけれど、落ち着いてきたこともあって気が抜けてしまったに違いない。

それでも娘がいると、朝早く起きてから娘を起こして、着替えさせて、ご飯を作ってあげて食べさせて、保育園に連れて行って、といったことはやらなければいけない。そして何より娘に風邪をうつしてはならない。親の責任は重いものだ。

そう言いながらも、娘が自分の足で歩きながらニコニコしている様子を見たりすると、不思議と風邪くらいなんてことはないなという気分になる。寝る以外の薬もある。良い話。

娘の保育園の入園式だった

今日は娘の保育園の入園式だった。午前休をもらって奥さんと一緒に出席した。入園式といっても、ほとんどは挨拶と明日からの慣らし保育にあたっての注意事項で、一時間経たないくらいで終了した。
娘は保母さんに向かってニコニコと手を振っていた。

大体の保育園には、窓ガラスに可愛い動物の形の切り抜きが貼ってある。今まではいかにも保育園っぽいデザインだと思ってたけど、いざ自分が娘を預けるとなると、とにかく楽しい雰囲気で子供を迎えようとしてくれているんだな、ありがたいな、と見え方が変わった。

娘も産まれてから一年と少しが経ち、ついに保育園に行くのかと思うと感慨深い。大変だったけど、いつの間にか過ぎていった気がする。成長が早くて、一瞬一瞬が貴重だった。

奥さんの勤務時間の都合上、保育園に送るのは僕が、迎えに行くのは奥さんの役目だ。
多分、奥さんが仕事に行くために家を出る時、保育園に預ける時の二回は大泣きするだろう。
知らない人にもニコニコと笑顔を見せるように育ってくれたけど、ほんの少し僕や奥さん離れるだけで泣いてしまうくらいに寂しがり屋だから。

でもだんだんと、保育園の友達に会いに行くのが楽しみになって、いつの間にか一人で遠くまで走って行ったりするのだろう。

娘を預ける保育園には、年長の子を含めると、4〜50人はいた。友達をたくさん作って欲しい。もう少ししたら走り回るだろうし、そうしたら一層大人には見えないたくさんのものに気付くだろう。道路に転がる何の変哲もない小石を拾って、興味深く眺めているくらいだから、きっと世界の広さに驚くはずだ。

そういえばこの一年、奥さんか僕が一緒にいなかったことはほぼなかった。でも、これからは僕らが知らない時間を過ごすことになる。保育園とのやり取りノートでしか知らない娘が出てくるのだろう。
保育園からもらったイベントのチラシや献立表を見ていると、娘がたくさんの友達と並んでニコニコしている姿を想像してしまう。

毎日ニコニコしてくれているので、きっと毎日楽しく過ごしている、そう思うことにしている。どうかこれからも元気で、僕らも知らない楽しい日々を過ごしていって欲しい。

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赤ちゃんの沐浴を父親が朝に行うススメ

我が家では、朝に娘をお風呂に入れている。

 
いくつかの理由があって、
  • 生後まもない頃、娘の頭を片手で支えながらお風呂に入れるのは力が必要だった
  • 少しでも奥さんの睡眠時間を確保する
  • 少しでも育児の作業を分担する
といったものがあった。
 
最初は朝7時に起きなければならないし、たくさん泣かれるしで大変だった。
どうやったら泣かさずにお風呂に入れられるか、苦心の結果をブログにまとめていた。
 
 
でも、夫が仕事に行く前にお風呂に入れてあげるのは、先に書いた理由を解決するだけではない、もっといいことがある。子供の成長を感じられることだ。
 
仕事に行くと朝しか会えなくなるけど、お風呂に入れてあげることで触れ合う時間ができるのだ。
ベビーバスに入らなくなったことで身体が大きくなったことを感じる。お風呂に入れても泣かずにニコニコしている姿を見て、世界に慣れてきたことを感じる。お風呂のおもちゃで遊ぶ様子で、少しずつ手先が器用になってきたことを感じる。お風呂の中で、たくさんお話しして、お湯をバシャバシャしてくれる。
そんな毎日の少しずつの変化を見ていくことができるのだ。
 
でもこれから娘は保育園に入り、奥さんも仕事が始まる。そうすると、奥さんの仕事で出掛けるタイミングの都合から、朝にお風呂を入れるのは止めて、奥さんが夕方にお風呂に入れなければならなくなる。無理して朝にお風呂に入れるとなると、娘は遅くとも6時半までには起きなければならず、それは少し可哀想だ。だから、朝にお風呂を入れることはもうすぐ終わる。
 
もうあと数日だけの機会だと思うと、最初は大変だったけれど、本当に大切で幸せな瞬間を毎日過ごせていたんだな、と思う。あーこんなに寂しくなるものなのか。
せめて休日だけは、僕がお風呂に入れてあげようと思っている。
 
 

mogwaiのライブが最高という話

先日mogwaiのライブに行ってきた。mogwaiのライブに行くのは、多分10回は超えている。そこまで通っているのは日本のバンドでもあまりいない。

どんなバンドかといえば、爆音ギターのインストバンドだ。初期の曲で、僕が最もよく聞いていたX'mas Stepsという曲がある。
 
例えばこの曲は、静かなギターの音で始まる。それが少しずつ不穏さを増していき、歪んだベースの音が重なるとともにテンポが上がっていく。4:18くらいから、ザクザクとしたギターリフのユニゾンが始まり、4:50からギターの爆音が炸裂する。これがライブで聞くと、ギターからこんなデカイ音が出るものなのかとひっくり返るのだ。
 
初めてmogwaiのライブを見たのは、2000年のフジロックだ。あまりの爆音に衝撃を受けて、そのすぐ後の来日公演にも親友を誘って行った。
今はなき新宿リキッドルームで見たのだけど、終わった後に友人が「新宿が吹き飛ばされたかと思った」という秀逸なコメントを残した。
 
mogwaiは日本を好いてくれているのか、当時は一年にニ、三回来日してくれることもあった。
彼らもずっと変わらないようでいて、途中でバリーが加わって人数が増えたり、少しの間だけチェロが加わって抜けたり、約30分の曲を演奏したり、また打ち込みやボーカルを加えたりと、爆音ギターのインストバンドという形態の中で変化し続けている。
 
でも変わらないのはライブだ。いつでも緊張感と殺気がある。爆音だけでなく、極力小さな音で緊張感をもって演奏している時も素晴らしい。曲の最中、確かジョン・カミングスが飲み物の缶をプシュッと音を立てて開けてしまった時、「やっちまったー」みたいな顔をしていたことがあった。
 
インタビューDVDで、メンバーは口を揃えて「バリーは天才だ」と言う。確かにバリー加入以前と以後では、より音楽的になり、音像もバラエテイに富むようになった。
しかし、mogwaiの核はステュアートのギターだと思う。彼のギターがあるからこそ、緻密で、そして緊張感と殺気が漲っている。
 
mogwaiを轟音ギターのバンドと呼ぶ人もいる。むしろそう呼ばれる方が多い。だが僕にとっては爆音ギターのバンドだ。
轟音という言葉には、包み込むような空間の要素がある。もちろんmogwaiの曲も、マイブラの影響を受けた美しいギターのホワイトノイズが轟音のようになる曲もある。古くはマイブラ、その後はmogwaiの影響によって、世界中で轟音のバンドが増えた。
しかし、mogwaiが持つ殺気を取り入れるバンドは少ないように思う。一時期ポストロックが流行った時、だいたいのバンドがだんだん盛り上がって音が大きくなる曲を演奏していた。
 
mogwaiの曲もだんだん盛り上がるが、その音像はもっとザクザクと、包み込むようなものではなく、聞いているものをなぎ倒そうとしてくる。そのような意味で、僕にとってmogwaiは爆音ギターバンドだ。
 
そのようなmogwaiも、爆音を発揮できるライブが至高で、音源では中々本領が発揮できない。
2ndのcome on die youngは、緻密な設計と緊張感から、音源でもmogwaiらしさを十分に発揮できていたと思う。しかし、どうしてもワンパターンになりがちなこともあり、中々音源なりの良さを発揮できなかったと思う。

 

カム・オン・ダイ・ヤング(デラックス・エディション)

カム・オン・ダイ・ヤング(デラックス・エディション)

 

 

 だが、ここ二作は音源としてもとても良い。mogwaiも良い意味でベテランになり、曲もバラエテイに富み、力の抜けた展開が適度に混ざることもあり、一枚を通して聞いても飽きない。

例えばHardcore Will Never Die But You Willの中にToo Raging to Cheersという曲がある。静かで不穏で、少し悲しげな演奏に、mogwaiにしては珍しいいかにもマイナーな旋律のバイオリンが重なり、最終的に爆音のアンサンブルで締めてくれる。mogwaiは、このような分かりやすい形でマイナーなメロディや雰囲気を出すことは避けてきたように思っていたが、それを表現しつつ、いつもの爆音もちゃんとあることに、彼らの積み重ねてきた自信を感じる。

特にライブだと、バイオリンの旋律をスチュアートがギターで弾くのだが、このような泣きの旋律をギターで演奏することは全くなかったと思う。でもとても似合っていた。

 

www.youtube.com

 
今年、結成20周年だという。年齢を重ねても実験的で、かつハードコアなままでいてくれるmogwaiのライブや音源が今後も楽しみだ。

 

Hardcore Will Never Die But You Will

Hardcore Will Never Die But You Will

 

 

Rave Tapes

Rave Tapes

 

 

心暖かな人たちが開いたレストラン

若林駅三軒茶屋の間にRestaurant Tezeというフランス料理のお店があった。ご夫婦のみで回されている、こじんまりとしたお店だった。

そこでは何回かの奥さんの誕生日を祝い、クリスマスを過ごし、両家の顔合わせも行った。暖かみのある繊細な味で、とても美味しかった。さらに一般的なフランス料理の店舗と比べても手頃なお値段だった。

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これは前菜で出てくるラタトゥイユのジュレ。いつも色とりどりの野菜で、爽やかな味のラタトゥイユを出してくれた。

本当にオススメする、心の中で大切にしているお店は、流行って欲しい、自慢したいと思う一方で誰にも言えない。思い入れが強くなると、自分の場所のように感じてくる。

ご夫婦と特別な会話をすることはなかった。でも食事が終わり、出て行くときにいつも二人で微笑みながら見送ってくれた。暖かな空気で満ちたお店だった。

奥さんが妊娠をして、その店からしばらく遠ざかっているうちに、いつの間にか移転してしまっていた。今は札幌で店舗を出す準備中らしい。できることなら、ご夫婦にお別れを言い、最後にもう一度コースを食べてみたかった。

いつか、娘が大きくなったら、札幌で食べさせてあげたいと思っている。

【ブログ】Restaurant Teze~Tezeのつぶやき~ | Restaurant Teze

もう一店舗思い出の店がある。

これもフランス料理になってしまうのだが、僕らが結婚式を挙げたお店だ。


ぐるなび - マノワール・ディノ(表参道・青山/フレンチ(フランス料理))

来て頂いた方に出来るだけ美味しい料理が出るよう、いくつかのお店を試食して回った。どうでもいいけど、会場を探す目的で伺うと、大抵かなり安く試食できるので、結婚式を準備中のカップルにはデートにもおすすめだ。

そうしている中で見つけたお店だ。

このお店の自慢の料理と紹介されて出てきた、フォアグラのムースがとても美味しかった。一口食べた時に、奥さんと顔を見合わせて、その時に「ここにしよう」と大体決まった。

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料理が美味しいのはもちろん、内装や外観の美しさ、またおもてなしが素晴らしかった。おそらくオーナーの女性は、ほとんどのお客さんの顔を記憶している。参列者の一人が過去にマノワール・ディノで開かれたパーティに来たことがあったようだが、その事を覚えていて話しかけていた。これがプロフェッショナルなのかと思う。奥さんの妊娠中に一度訪問したけれど、僕らの事を覚えてくれていたばかりか、結婚式の様子も覚えてくれていた。

子供ができて、フランス料理に行く機会はなくなった。でもいつか、このお店にもまた行くことができたら、と思っている。

お店の良さは味だけが決めるのではなく、料理の見た目、器、お店の外観、空気、そこで流れている音、接客なども大事な要素だ。

僕にとって思い出となるレストランは、自分たちの料理とそこに集まるお客さんを愛する心暖かな人たちが開いているお店だ。


大切な人との思い出作りに最適な、"ベスト・オブ・ベスト"。渋谷にあるフランス料理店とは? - みんなのごはん

 

ぐるなびお題「思い出のレストラン」

 

娘が歩いた日の話

友達と遅い新年会をするということで、朝から掃除をしていた。掃除機をかけていてふと振り返ると娘が笑いながら二歩三歩と歩き始めた。

一歩だけ足を出すことができるようになってから二週間が経過し、ついに記念すべき日がきた。
 
別の部屋で掃除をしていた奥さんもやってきて、二人で大騒ぎしながら拍手をした。拍手をされるほど嬉しくなるのか、数歩歩いてはぺたりと座り込んでしまうものの、それからまた何度も立ち上がって歩き出す。
人が初めて歩くときは、こんなにも一歩一歩が慎重で、そして一歩一歩を新鮮に、楽しく感じているものなんだなあ。ふるふる震えながら、自分のペースで一歩足を踏み出せる度に、嬉しそうに笑う。
 
そんな貴重な日に友達が家にやってきて、娘が歩く姿を見てもらえた。みんなの拍手をもらってまた一層大はしゃぎしながら何度も歩いてくれた。子育ては大変だけど、驚くことと嬉しいことの連続だ。
 
そして夕方からみんなで飲み屋に移動する。前回は魚が美味しいお店だったので、今回は鶏料理のお店にしてみた。前職で一緒だったメンバーだったけれど、気がつけば前職で一緒に働いていた年数以上に会っている。
 
1人が「数十年後におじいちゃんになって、またその時に山登りしたり、こうして集まれたりしたら、それはとても楽しそうだね」と言った。
 
僕も楽しみだ。
昔の自分は何も成さずに時が過ぎることは敗北だと思っていた。
今は時が過ぎることも楽しみに思える。

娘が一歳になった

2月15日、娘がめでたく一歳になった。

 
娘が産まれた日は、近年まれに見る大雪の日だった。


大雪の日の出産 - 言いたいことがなにもない

 
娘は奥さんの実家である群馬で一ヶ月を過ごした。毎週末、仕事が終わってから群馬に帰った。毎週群馬に行くのは疲れたけど、おかげで早いうちに子育ての大変さを知ることができたし、早くに父親の気持ちを実感できた。毎週来た方がいと言ってくれた奥さんに感謝している。
 
それから神奈川に帰ってくる日は大雨が降った。大雪に続いたものだから何か持ってるのかと心配したけど、それからは何の問題もない。元気によく笑う子供に育っている。ちなみに誕生日の今日は快晴だった。
 
群馬の実家では、奥さんの両親と世話をしていたけれど、神奈川では僕と奥さんだけで娘を育てることになる。赤ん坊は手がかかるし目を離せない。たった2人でこの娘を育てられるのか、不安でたまらなかった。外出もままならないから、毎週末には数日分のご飯を作ったり、食料を買い溜めしたりした。
 
お風呂に入れるにも試行錯誤を繰り返した。


赤ちゃんを泣かさずにお風呂に入れる作戦 - 言いたいことがなにもない

寝かしつけも悩んだ。


夜中に起きた赤ちゃんを待つかあやすかに悩む - 言いたいことがなにもない


こんな風に最初の頃は戸惑うことが多くて、特に奥さんは、乳児湿疹が出ては「これはアトピーでは」と、微妙な身体の動きや泣き止まなさから「まさか発達障害では」と心配していた。また、よく風邪をひいて熱を出していた。
僕と違って、一人で娘とずっと一緒にいるから、さらに気になったのだろう。さらに寝不足も重なり、ストレスが溜まっていたはず。正直僕はその心情を理解してあげられなかったし、ケンカも多かった。今思うと申し訳ない。

けれども区のイベントなどでママ友ができてからは、娘との日々を楽しそうに過ごしてくれるようになった。外出して気分転換できるようになったのも大きいだろう。

そういった不安も、娘が成長していく喜びの方が勝っていった気がする。


自転車は行く - 言いたいことがなにもない

娘は大きくなり、一緒にハワイにも行った。


育児休暇の気持ちで家族でハワイ旅行に行った話 - 言いたいことがなにもない


一人で立てるようにもなった。


一人で立つ - 言いたいことがなにもない


最近は、言葉を発するようになった。マンマとアンパンが言える。アンパンはいいから、早くパパと言ってくれないか。アンパン食べたことないだろ。

少し前までは寝かしつけするにも、抱っこして夜中に散歩に連れて行ったり、度々起きて母乳を欲しがったりと大変だったけど、最近は布団で寝転がってあげると眠るようになった。離乳食もよく食べる。
だんだん、僕ら以外の大人や子どもを見てニコニコと笑う、元気な女の子になっていった。

案外、一緒に会話したり、一緒に歩いて散歩する日が近いのかもしれない。なんだか想像がつかないけれど、その日はもう一年も経たないうちにくるはずだ。

前のように、音楽や映画に費やせる時間はかなり減ってしまった。でも子育てもアートみたいだ。一つの命が元気に楽しそうに大きくなっていく姿を目の当たりにすることは、とても美しいことだ。

さて誕生日の今日、娘は初めて偉大な一歩を踏み出した。まだ歩くには時間がかかるけれど、わざわざ誕生日に一歩だけでも歩いてくれるなんて、ドラマチックなことをしてくれる。

子どもが産まれて良かった。娘には幸せになってもらいたいし、そのためにできることをしてあげたい。次の一年はまた大変なことがたくさんあるはずだけど、それ以上に嬉しいことも多いはずだろう。