言いたいことがなにもない

プライベートな日記です

サマーソニック2015に行ってきた

サマーソニック2015に行ってきた。東京の1日目。ちゃんと数えたことはないけど、7,8回目くらいか。

昔は毎年行っていたが、最近は1年ごとくらいになった。ロックっぽいアクトが減ってきたことが大きいし、そもそも自分が見たいアーティストが昔から活動している人たちばかりになってしまった。これが世代か。
でもやっぱり行くと楽しい。
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今年はベビーカーを持った幼児連れのお客さんが多かった。過ごし方次第で、子供と来ても快適なフェスだったと思う。
自分の中ではサマソニは仕切りが悪いフェスというイメージだったが、ここ最近年を追うごとに快適になってきた。

とにかく仕切りが悪いといえば初年度の富士急でやったサマソニで、クリエイティブマン初めての大型フェスとはいえ、とにかくひどいものだった。

ジェームズブラウンが、投げつけられたペットボトルにブチ切れて演奏を止めたり、持ち時間を無視して延々と演奏して、トリのジョンスペンサーエクスプロージョンの持ち時間が30分くらいに縮まったりした。ジョンスペは演奏中に打ち上げ花火が上がり強制終了させられたが、「JBの後に演奏できるなんて光栄だ」と言ってキッチリ締めて帰っていって最高だった。
退場の誘導がまたひどくて、ものすごく狭いゲートから退場させられて大行列になったが、どの列を優先して帰らせるかがグダグダで、最終的にゲートを飛び越えて帰っていく人が多数だった。というのも相当押して最終電車に間に合わなくなりそうだったので、そうする人がいてもやむを得ない。僕たちも全力で走ってギリギリ最終電車に乗れたが、まだたくさんの人が残っていた。時々、みんなあれから富士急ハイランドなんかでどうしたのだろうと思う。
あと、痴漢に間違われた一般人がスタッフにボコボコにされたという噂もあった。それも信じられるくらいあの時のスタッフの対応はひどかった。

他の年でも、アクトに対してステージのキャパシティが明らかに狭く、入場規制になったことも頻繁だ。入場規制がかかるならまだしも、規制をかけるのが遅すぎてあまりにギュウギュウ詰めになり、結局演奏を開始するには危険すぎて、そのアーティストの出演自体が見送りになる、そんな事態にも何度か出くわした。

というわけで、フジロックロックインジャパンのような別世界の自然の中のフェスではなく、都市型フェスだから仕切りが悪いのもしょうがないのだとよくわからない理由で納得していた。

でもここまで快適になったのは、色んなトラブルを乗り越えてきた主催者側の絶え間ない努力と経験はもちろん、観客がフェスやイベント慣れしてきたり、ロックインジャパンの層が子供を連れてサマソニに来るようになったり、都市であれば子供を連れて出かけるのが受け入れられつつあることだったり、様々な要因があるのだろう。

僕もいつか子供を連れて来てみたい。暑い時はメッセの中で過ごしつつ、夕暮れ時には海辺のガーデンステージでゆったり音楽を聞きながら子供と過ごしたら最高だ。まあそうすると時間的にトリのアクトを見られないので、むしろトリが好みの場合だと悩ましいけど…。
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でもマリリンマンソンの時、小さな子供がいたのにはビビった。時間は遅いし爆音だし、何よりもAre you big fun of drugs?big cocks?なんて言ってたマリリンマンソンだぞ。

夏の帰省

夏の山梨に帰るのは久しぶりだった。帰省といえば大抵正月で、それどころか一年に一度帰れば良い方だった。今にして思えば、両親には相当心配をかけたことだろう。家族ができて、僕も親に会う回数が増えた。

山梨といえばやたらと蒸し暑いのだが、今回帰っていた三日間は、しばらく雨が続いていた影響か、割合に過ごしやすかった。

奥さんと一歳の娘を連れ、僕の父親母親との総勢5名で山梨を回った。滝を見たり、牧場に行ってウサギやヤギと戯れたり、ブルーベリー狩りをしたり。
それにしても東京と比べると、圧倒的に自然が多い。娘に合わせて屈んで景色を眺めていると、ただの地面に思えていても実はそこに小さく花が咲いていたり、アリがエサを運んでいたり、土や草がミクロな美しい模様を描いていたりと発見が多い。そういえばこれが三十年前に見ていた世界だった。
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散々騒いで遊んだ娘が眠った後で、夜に一人で散歩に出かけた。昔、考え事をしながらこの暗い街灯の下を歩いていた。それは例えば始めたばかりのベースを担いでいた時や、受験勉強の息抜きにコンビニに出かけたり、鬱屈して未来もわからないフリーター時代のことだ。その頃の自分とは今も地続きで、昔の俺がすぐ隣を歩いている感覚がした。

家族で車に乗って、チャイルドシートではしゃぐ娘の相手をしているときにも、幼い頃の記憶が蘇った。そのシーンでは、もう大きくなった2人の兄はすでにおらず、僕と父と母の三人だけでよく車に乗ってどこかへ出かけていた。
トンネルの中で事故を起こした時にはそれを電波で伝えられるという都市伝説的なものがあったから、トンネルが近づくたびにラジオのボタンを押していたことがあった。山梨には山が多く、トンネルが多いから、ラジオのボタンを押す役目は忙しく誇らしかった。
それから、渋滞に飽きて騒いだり、後部座席から運転席の背もたれを掴んで乗り出したり、高速道路を眺めているうちに眠ってしまったりしたことが思い出された。
そして、そんな僕の事を両親がどんな気持ちで眺めていたのかも、少しだけ分かった気がした。

一年半前の正月、奥さんが出産を間近に控えていて安静にするために一人で帰省したとき、両親は暖かく出迎えてくれたものの、山梨の光景は僕が過ごしたその頃とは大きく変わっていて、すでに故郷が自分の居場所ではなくなったと感じたことがあった。
だがそうではなく、僕がこれまで作ってきた場所を、娘に受け渡しつつあることに気づいていなかったのではないか。

眠い時以外の娘は終始機嫌がよく、また新たにたくさんの言葉を発するようになった。じいじ、ばあば、うまい、あつい、おいしい、、、
昔の僕は、生きる判断基準を音楽に置いていたところがあって、嘘をついたり怠けたり、つまらないことも色々してしまうけれど、最終的に音楽のために魂が穢れることだけはしないようにと思っていた。今は娘の魂がとても美しい。


この半年読んで面白かった本10冊まとめ(2015年6月まで)

毎年「今年読んで面白かった本」を10冊選んでブログに書いている。去年からは半年に一回まとめるようになった。

今年読んで面白かった本10冊 - はてなの広告営業 mtakanoの日記(2010年)

今年読んだ本のマイベスト10 - はてなの広告営業 mtakanoの日記(2011年)

今年読んで面白かった本10冊(2012年) - はてなの広告営業 mtakanoの日記

今年読んで面白かった本10冊(2013年) - 言いたいことがなにもない

面白かった本10冊まとめ(2014年1月~6月まで) - 言いたいことがなにもない

面白かった本10冊まとめ(2014年7月~12月まで) - 言いたいことがなにもない

 

こうして見ると、もう60冊を選んできたことになる。読書ペースは多少落ちてきたものの、自分が読みたい本とその嗜好がぼんやり分かってきたので、より自分の血と肉になる本が読めている気がする。


ヒトラーランド

ドイツでどのようにナチスが拡大したのか、そこで過ごす人々の様子はどうだったのか。当時をドイツで過ごしていたアメリカ人達の記録を丹念に書くことで、今振り返るドイツではなく、その時々でどう受け止められていたのかが生々しく伝わってくる。

今の日本も、いつの間にか病が進行しているように思えていたから、身に迫る思いで読んだ。感想もブログにまとめていた。

mtakano.hatenablog.com

 

ヒトラーランド――ナチの台頭を目撃した人々

ヒトラーランド――ナチの台頭を目撃した人々

 

 

君は永遠にそいつらより若い

大学生くらいの頃に出会いたかった本。主人公が変わり者の大学生だからか、一見するとフワッとしてのんびりしたユーモアのある青春小説。けれども読み進めていくと時折暴力、虐待、自殺、レイプなどの陰惨な世界が垣間見える。それでも皆生き生きとしていて、生命力に溢れたみずみずしい小説だ。
タイトルからしてパンクでかっこいい。フワフワしながらも、強い芯がある。著者も音楽好きらしく、登場人物がソニックユースのシャツを着ていたりしていた。タイトルが示すように、辛さもあるけど希望のある、とても心に残る小説だった。 

君は永遠にそいつらより若い (ちくま文庫)

君は永遠にそいつらより若い (ちくま文庫)

 

 

極北

壮絶な小説だった。極北が舞台のディストピア。四部から構成されているが、その中で主人公の旅は目まぐるしく予想もしない方向に移り変わっていく。
寒々しい極北を舞台に、孤独な主人公が旅をしていく物語。旅が進むにつれて、わずかな生き残りの人々と、廃棄された文明に出会うのだ。文明はなぜ廃棄されたのか。今この本は、311の前にこの物語は書かれていた、と紹介されており、それはネタバレといえばネタバレなのだが、その程度ではこの本の壮絶さが薄れることはない。むしろその文句で興味を持って持つ人が増えて欲しいとさえ思える。
人類の傲慢さへの警鐘であり、残酷さであり、希望の話。311の後により一層意味を持った小説。

 

極北

極北

 

 

ピース

Twitter文学賞をとった小説。一言で言えば一人の老人の回想の話なのだが、とても不思議な小説で、本の迷宮、神話の中に取り込まれた感覚になる。実は古い小説だと言うのが驚くくらいに斬新で実験的。時制、主人公、さらには舞台がリアルからファンタジーへとコロコロ変わっていく。それは人の思考は一貫していないことを表現しているのだろうか。ふと昔読んだ物語が挿入されるが最後まで完結せずに本文に戻る。ただ後になって比喩であったことがわかる、そのような展開が最初から最後まで続いていく。全くつかみどころがなく、それがゆえにスケールが大きい。

 

ピース

ピース

 

 

自由からの逃走

ナチズムの病理を解くという背景で書かれた本。フロムの本は昨年から読み始めているが、全てが一貫している。読んでいると、ヒトラーランドと同じく今の日本の危険な状況が身に迫る。

中世封建社会から、人は制限された自由の中にいた。それから人は自由を求めてきたのだが、その結果、いざ自由な状態になるとそれは他者との結びつきや保護のない、集団から切り離されて一人でいきていくしかない孤独なことでもあった。

特にそれに不安を感じるのは中産階級貧困層などで、 これが自由から逃走し新たに集団に帰属し依存する、つまりファシズムへと走ってしまったのだと解き明かす。そしてそれはまた権威に隷属しがちである。

人は自由を享受するためには、自発的に自己も含めて他者も愛すること、そして生産的な仕事の中で他者と繋がらなければならないのだ。

自由やファシズムに負けないよう、そして自分がより良く生きていくための指針になるような本だ。フロムの本はこれから何度も読み返していきたい。

自由からの逃走 新版

自由からの逃走 新版

 

 

おどろきの中国

中国はすぐ隣にあり、歴史的にも深いつながりがあるのに、実の姿をほとんど知らないし、謎に思う側面が多い。でもこの本を読んで、おぼろげながらも全体が見えた気になった。
そもそも中国とは国家なのか。二千年以上前に統一され、トップが変わってもあれだけ広い土地と国民が、漢字の表記は一緒でも発音は様々というのに、長く国家という認識をもっているのは外からは不思議なことに見える。だがこれが中国の人々には不思議ではないことを理解しないと、中国がわからない。政治的統一を第一に考えること、中華思想や幇、儒教の考え方を知らなければいけない。
そうして少しずつ歴史と考え方を紐解くと、なぜ歴史問題でこれだけすれ違いが生じてきたのかが薄っすらと見えてくる。
中国と日本との間にあった文脈、日本が伝統的にどう見られていたのか、日本が大東亜戦争と言いながら矛盾した態度をとっていたことがどう見られていたのか、暗黙の了解的なものにより、本来戦争や靖国神社尖閣諸島をどうすり合わせしていたのかが分断されてしまい、現在のようになってしまったのではないか。

色々な困難も感じるが、中国の人びとの考え方などへのスケールの大きさも感動する。とても面白い国で尊敬の念を抱く。こんなに合理的な選択をする人たちには日本はそうそう勝てない。共産党一党独裁は続くのか、という程度の話では、きっと彼の国への理解が及ばなくなるだろう。

残念ながら日本は中国を嫌うムードになってしまっているが、それよりもまずは中国をもっと知ることが必要ではないかと思った。

 

おどろきの中国 (講談社現代新書)

おどろきの中国 (講談社現代新書)

 

 

HARD THINGS

著者であるベンホロウィッツが、自伝的にこれまでの経営の中でぶつかった困難をものすごく具体的に語る。
経営指南書、経営学の本はあれど、このように具体的に事例ベースで書かれた本は他にあるのだろうか。経営者、独立したい方にとってはとても勉強になり、困難にぶつかった時に度々見返すのではないだろうか。僕は独立したい気持ちはないが、それでも経営側の気持ちが多少なりとも分かる、とてもためになる本だった。とはいてベンチャー企業のマネージャークラスでも、人材採用やマネジメントの話が書かれているので、具体的にためになる話は結構多い。

 

HARD THINGS 答えがない難問と困難にきみはどう立ち向かうか

HARD THINGS 答えがない難問と困難にきみはどう立ち向かうか

 

鹿の王

読む前から絶対に面白いことが分かっていて、案の定読み始めると止まらなくなった。

著者が文化人類学にも詳しいため、単なるファンタジーではなく、宗教による対立、民族による対立が描かれていたり、それぞれの民族ごとで描かれている文化も、裏側に細かな設定があるのでは、と思わせる緻密さがある。さらに人の描写も非常に上手いので、ファンタジーだけどリアリティがある。

複雑な問題を扱いながらも、人々がそれぞれの信じるもののために必死で戦い、生きていく姿から、素直に楽しめるはず。

 

 

データの見えざる手: ウエアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則

ウェアラブルがブームになっている。それで何が実現されるのかはいまいちよく分かっていない。この本を読むと、ウェアラブルがもたらしうる未来が少し見えてくる。著者は今のようにウェアラブルがブームになる前から開発とテストに携わっており、なんとすでに数年間身をもってあらゆるデータを計測し、実験してきたという。紹介されるエピソードがまたワクワクする。ハピネスを測ったり、効率的な職場にする要因を調査したり、店舗の売り上げを上げる方法を経営コンサルとコンピューターでそれぞれ実践させ対決させたり。だいたいにおいて、人間の直感や論理とは違った結果が見出されることにひたすら驚く。

 

コンテンツの秘密―ぼくがジブリで考えたこと

コンテンツという言葉はよく聞くが、ではそもそもコンテンツとは何なのか。良いコンテンツとは何か、ヒットするコンテンツの要因は何か、天才とは何なのか。これらがわかりやすく整理されていてとても面白い。

コンテンツを芸術作品ととらえると、この本に対して一部の人は反発するだろうし、この本で語られる文脈とは違った奇妙な大ヒット作が生まれることもある。

それでもここで書かれている、コンテンツとは現実の模倣であり、人の脳が見ている世界をいかに描くかであるという視点は面白い。自分に子供が生まれて一層実感するものがある。

だから、たくさんの表現パターンが出尽くして、なおかつこれまで誰も見たこともない、そして自分の脳の中にある姿を描こうとするクリエイターは天才であり孤独なんだな、と思った。

 

この半年間は、おもしろい小説にもたくさん出会うことができてよかった。また次の半年も面白い本にたくさん出会えるだろう。

娘がアデノウイルスにかかった

朝起きたら娘が鼻水をズルズル啜っていて身体が熱い。熱を計れば39度以上ある。当然保育園には行けないので、僕と奥さんで代わる代わる休んだり、早退したり遅れて出勤したりした。

病院に連れて行くとアデノウイルスだという。これはあと数日は治らないと覚悟を決めた。途中でお義母さんに来てもらった。ときに40度を超す熱が出ながらもそれなりに元気だった。だがいつもより寝る回数は多いし、普段は食べ過ぎて心配になるご飯をなかなか食べなくなった。あんなに大好きだったバナナも途中で残す。夜の寝かしつけが終わって部屋から出ようとするとすぐに起きて泣いてしまう。心配だけれど、安静にしてもらって治るのを待つしかない。

そんなある日、娘が窓から外を指差して「うわあ!うわあ!」と叫んでいる。どうしたのかと窓の外を見ると、鳥が二羽飛んでいた。僕にとってはすでになんでもない光景だけど、都会で暮らす娘には、たまに見かける動物の姿が貴重なんだと改めて知る。この土日までに元気になったら、動物園に連れて行ってあげようと決めていたところ、見事に土曜日に復活した。

そこで義母も連れて動物園に。思ったほど大騒ぎしなかったけれど、それでも興味深そうに色んな動物の姿を見て歩き回っていた。

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今ではもうすっかり元気で、安心した義母も実家に帰り、また娘の鼻を啜って取り除いていた影響で僕の鼻水が止まらなくなったりした。あと風邪の期間、せめて果物だけでも食べてもらおうとバナナを中心に色んな果物をあげていたところ、すぐにバナナバナナと泣き叫ぶようになってしまった。

とはいえこうしていつもの日々が戻った今夜、奥さんと娘は一足先に寝た。
もう大変なので風邪はひいてもらいたく。でもこの数日義母がいて賑やかだったし、それどころか寝かしつけて部屋から出ようとすると泣き叫ばれたりして困ったことさえも、懐かしく思っている。


週末の幼児食 夏野菜のラタトゥイユとバナナのパンケーキ

週末は娘の幼児食にもできる大人のご飯を作り置きしておくようにしている。今日はラタトゥイユとバナナのパンケーキ、ニンジンの葉っぱで常備菜を作った。



大体レシピに書かれている塩の分量をかなり減らしたり、砂糖ではなくみりんを使うなどをして幼児食になるようにする。とはいえただ薄味にするのではなく、ダシの旨味をしっかり感じられるように考えながら作る。
大人はあとで塩コショウをふったりするが、ダシの旨味があると案外薄味でも美味しい。

あとは土曜日に作っておいたポトフをスープにした。

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この週末の仕込みによって、もう2日間は大人と娘の夕食についてあまり考えなくて済む。
夜は奥さんが保育園に迎えに行ってるんだけど、仕事の都合で少し遅い時間になる。早くご飯を食べさせて寝かしつけさせたいと思うと、週末や平日の夜に作り置きしておく必要があるのだ。

娘の幼児食を作るとき、大体1食で8〜10種類くらいは摂取できるようにと思っている。その他に1日の中で肉と魚がちゃんと食べられることと、緑黄色野菜とタンパク質がちゃんととれるように。幼児食の本を読むと、あらゆる食材をあげなければ!という気分になってしまうので、これだけを考えるようにした。

今日は15種類入っているのでかなり栄養価も高いはず。でも食材にかかった金額は、調味料を別として1000円程度なので、これで3日間は家族三人の夕食がまかなえることを思うと自炊はすごい。

土日は家族三人で笑いながらゆっくりと食卓を囲める。こういう時間を大事にしてあげたい。

最新版 パクパク幼児食 (主婦の友新実用BOOKS)

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幼児食にもなる塩だれ焼きそばの簡単な作り方

奥さんが会社の人とバーベキューに行って、余った焼きそばの麺を持って帰ってきた。
せっかくだから娘に食べさせようと思ったけど、まだ1歳の娘にジャンクな粉末ソースで味付けした焼きそばをあげたくなかった。

そこで塩だれの焼きそばにすることにした。しかし塩辛い塩だれではなく、まろやかな優しい塩だれにするにはどうしたらよいかと、試しにみりんを入れてみた。すると、かなり優しく美味しい味に仕上がった。


まず、野菜を炒めた後で焼きそばの麺を加え、焼けたらお酒でほぐす。そのあとで、混ぜ合わせておいたタレを加えた。

ごま油 大さじ2
鶏ガラスープの素 小さじ1
塩 小さじ1
みりん 大さじ2
レモン汁 小さじ2

これで出来上がり。
大人が食べるなら、これにコショウを入れるとよりパンチが効いたはず。だが幼児食にするので、辛味の投入はあきらめた。
野菜をちゃっちゃと切れば10分程度で作れるからとても楽だということも分かった。

味見したところ、大人にはちょうどいい濃さだったけど、娘には少し濃く感じたので、出来上がった焼きそばを取り分け、軽くお湯に浸してタレを落としてからうつわに盛った。味が消えてないかと少し味見したけど、むしろ上品で美味しかった。味付けが仕上がっている料理は薄味でもちゃんと美味しいのだ。

その焼きそばと、昨日の残り物の味噌汁(冷凍の野菜と豆腐も少し加えた)と、薄味で作っておいた豚の角煮の脂身を抜いたものと大根をほぐしたものをおかずにした。メロン半玉が見切り品で200円で売っていたので、それを少し取り分けてあげた。
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葉物と魚がないが、それは朝に食べさせたので、肉や大豆類などタンパク質を多めにした。

これで大人の料理に少し手を加えるだけで、娘の幼児食も完成だ。家族で同じ料理を食べた。

塩だれ焼きそばは好評で、一心不乱に食べてくれた。良かった。
あと初めて食べたメロンが、やはりというか異常なくらい目を輝かせ、最後にデザートとして出した時に「うお‼︎うお‼︎」と椅子に立ち上がって指差していた。食べたことなくても、甘い物だと分かるんだな…。

とりあえず今日の塩だれ焼きそばは野菜だけで作ったけど、豚肉を入れたらもっと美味しくなるはず。簡単だし、娘も大喜びで食べるからまた今度作ってあげよう。海鮮にしたらさらに美味しくなりそうだけど、エビやイカやアサリは、アレルギーが怖くてまだ食べさせてないんだよな。もうそろそろいいのかなあ。

よりよく生きることが、運命への最高の復讐

レディオヘッドのトムヨークがどこかで「世界に復讐するために音楽をやっている」と言っていた記憶がある。

自分をトムヨークになぞらえるほどおこがましくはないが、ルサンチマンが自分のモチベーションだった。

とある人に指摘されたのだけど、僕のブログは「マジョリティに対して教室の片隅で俺はあいつらには交わらない」と思っていたことが滲み出ていると言われた(本当はそんなに格好良い言われ方はしておらず、もっと細かなディテールで描写されてしまったのだけれど)。

実際に大体合っていて、半分無意識でそのように感じている人、感じていた人に伝えたい気持ちがあったと思う。ビジネスマンとしてある程度軌道に乗り始めてきた分、どこかで心情の吐露をすることでバランスを取ろうとしていたのだろう。とはいえ自分が昔抱えていたこと、出会ってきた具体的なディテールについてはリアルでも言うことはなく、墓場まで持っていくだろうけど。

それでも実は思ったよりも友達がたくさんいたことに気づいて、結婚して、子どもが生まれた今、もっとポジティブな新たなモチベーションが生まれつつある。
ただあえて言い表すならば、living well is the best revenge,よりよく生きることが、運命への最高の復讐だ、としか言えないところに生まれもったひねくれ加減が現れている。
ひねくれているかもしれないが、例え今幸せになりつつあっても、過去に辛く苦しかった記憶を全て忘れてしまって「あー僕にもそんな時代があったね」などと大人ぶって語る時がきたなら、その時は人生に敗北した瞬間だろう。

村上春樹の有名なスピーチの一節を引用すると、
「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」
壁と卵があるなら、僕も一生卵の側でありたい。


アムニージアック

アムニージアック


Accelerate

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