赤ちゃんの沐浴を父親が朝に行うススメ
我が家では、朝に娘をお風呂に入れている。
- 生後まもない頃、娘の頭を片手で支えながらお風呂に入れるのは力が必要だった
- 少しでも奥さんの睡眠時間を確保する
- 少しでも育児の作業を分担する
mogwaiのライブが最高という話
先日mogwaiのライブに行ってきた。mogwaiのライブに行くのは、多分10回は超えている。そこまで通っているのは日本のバンドでもあまりいない。
だが、ここ二作は音源としてもとても良い。mogwaiも良い意味でベテランになり、曲もバラエテイに富み、力の抜けた展開が適度に混ざることもあり、一枚を通して聞いても飽きない。
例えばHardcore Will Never Die But You Willの中にToo Raging to Cheersという曲がある。静かで不穏で、少し悲しげな演奏に、mogwaiにしては珍しいいかにもマイナーな旋律のバイオリンが重なり、最終的に爆音のアンサンブルで締めてくれる。mogwaiは、このような分かりやすい形でマイナーなメロディや雰囲気を出すことは避けてきたように思っていたが、それを表現しつつ、いつもの爆音もちゃんとあることに、彼らの積み重ねてきた自信を感じる。
Hardcore Will Never Die But You Will
- アーティスト: Mogwai
- 出版社/メーカー: Sub Pop
- 発売日: 2011/02/15
- メディア: CD
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心暖かな人たちが開いたレストラン
若林駅と三軒茶屋の間にRestaurant Tezeというフランス料理のお店があった。ご夫婦のみで回されている、こじんまりとしたお店だった。
そこでは何回かの奥さんの誕生日を祝い、クリスマスを過ごし、両家の顔合わせも行った。暖かみのある繊細な味で、とても美味しかった。さらに一般的なフランス料理の店舗と比べても手頃なお値段だった。
本当にオススメする、心の中で大切にしているお店は、流行って欲しい、自慢したいと思う一方で誰にも言えない。思い入れが強くなると、自分の場所のように感じてくる。
ご夫婦と特別な会話をすることはなかった。でも食事が終わり、出て行くときにいつも二人で微笑みながら見送ってくれた。暖かな空気で満ちたお店だった。
奥さんが妊娠をして、その店からしばらく遠ざかっているうちに、いつの間にか移転してしまっていた。今は札幌で店舗を出す準備中らしい。できることなら、ご夫婦にお別れを言い、最後にもう一度コースを食べてみたかった。
いつか、娘が大きくなったら、札幌で食べさせてあげたいと思っている。
【ブログ】Restaurant Teze~Tezeのつぶやき~ | Restaurant Teze
もう一店舗思い出の店がある。
これもフランス料理になってしまうのだが、僕らが結婚式を挙げたお店だ。
ぐるなび - マノワール・ディノ(表参道・青山/フレンチ(フランス料理))
来て頂いた方に出来るだけ美味しい料理が出るよう、いくつかのお店を試食して回った。どうでもいいけど、会場を探す目的で伺うと、大抵かなり安く試食できるので、結婚式を準備中のカップルにはデートにもおすすめだ。
そうしている中で見つけたお店だ。
このお店の自慢の料理と紹介されて出てきた、フォアグラのムースがとても美味しかった。一口食べた時に、奥さんと顔を見合わせて、その時に「ここにしよう」と大体決まった。
料理が美味しいのはもちろん、内装や外観の美しさ、またおもてなしが素晴らしかった。おそらくオーナーの女性は、ほとんどのお客さんの顔を記憶している。参列者の一人が過去にマノワール・ディノで開かれたパーティに来たことがあったようだが、その事を覚えていて話しかけていた。これがプロフェッショナルなのかと思う。奥さんの妊娠中に一度訪問したけれど、僕らの事を覚えてくれていたばかりか、結婚式の様子も覚えてくれていた。
子供ができて、フランス料理に行く機会はなくなった。でもいつか、このお店にもまた行くことができたら、と思っている。
お店の良さは味だけが決めるのではなく、料理の見た目、器、お店の外観、空気、そこで流れている音、接客なども大事な要素だ。
僕にとって思い出となるレストランは、自分たちの料理とそこに集まるお客さんを愛する心暖かな人たちが開いているお店だ。
大切な人との思い出作りに最適な、"ベスト・オブ・ベスト"。渋谷にあるフランス料理店とは? - みんなのごはん
娘が歩いた日の話
友達と遅い新年会をするということで、朝から掃除をしていた。掃除機をかけていてふと振り返ると娘が笑いながら二歩三歩と歩き始めた。
娘が一歳になった
2月15日、娘がめでたく一歳になった。
こんな風に最初の頃は戸惑うことが多くて、特に奥さんは、乳児湿疹が出ては「これはアトピーでは」と、微妙な身体の動きや泣き止まなさから「まさか発達障害では」と心配していた。また、よく風邪をひいて熱を出していた。
けれども区のイベントなどでママ友ができてからは、娘との日々を楽しそうに過ごしてくれるようになった。外出して気分転換できるようになったのも大きいだろう。
そういった不安も、娘が成長していく喜びの方が勝っていった気がする。
育児休暇の気持ちで家族でハワイ旅行に行った話 - 言いたいことがなにもない
一人で立てるようにもなった。
最近は、言葉を発するようになった。マンマとアンパンが言える。アンパンはいいから、早くパパと言ってくれないか。アンパン食べたことないだろ。
少し前までは寝かしつけするにも、抱っこして夜中に散歩に連れて行ったり、度々起きて母乳を欲しがったりと大変だったけど、最近は布団で寝転がってあげると眠るようになった。離乳食もよく食べる。
だんだん、僕ら以外の大人や子どもを見てニコニコと笑う、元気な女の子になっていった。
案外、一緒に会話したり、一緒に歩いて散歩する日が近いのかもしれない。なんだか想像がつかないけれど、その日はもう一年も経たないうちにくるはずだ。
前のように、音楽や映画に費やせる時間はかなり減ってしまった。でも子育てもアートみたいだ。一つの命が元気に楽しそうに大きくなっていく姿を目の当たりにすることは、とても美しいことだ。
さて誕生日の今日、娘は初めて偉大な一歩を踏み出した。まだ歩くには時間がかかるけれど、わざわざ誕生日に一歩だけでも歩いてくれるなんて、ドラマチックなことをしてくれる。
子どもが産まれて良かった。娘には幸せになってもらいたいし、そのためにできることをしてあげたい。次の一年はまた大変なことがたくさんあるはずだけど、それ以上に嬉しいことも多いはずだろう。
アメリカ人が見た、ナチスが台頭していくドイツの姿 『ヒトラーランド』
ナチスが行った行為は、人類の汚点として考えられている。なぜそんなことが起きてしまったのか。ヒトラーは狂人なのか。狂人だとするなら、支持した人々は何者なのか。
フロムは「悪について」で、ナチスを集団のナルシズムという病理にかかったもので、血族、国家、宗教、人種がその熱情の対象になってしまったと喝破した。
実際、ふとしたことで簡単に狂気は伝染するのだろう。このまとめはリアリティがある。
今、改めて天皇機関説事件をおおざっぱに振り返ってみた~@noiehoieさんつぶやき編集 - Togetterまとめ
数年前、このまま戦争が起きるのではとドキドキしていた。今よりもさらに中国への反感が高まっていて、身の回りの友達でさえ、中国の悪口をまとめたブログをシェアして怒っていた。
それからまた今、書店は反韓国や反中国の本で溢れ、ヘイトスピーチの団体が登場し、ちょっとしたことで過敏にネトウヨが謝罪を要求する社会になってきた。こんな様子を見ていると、僕らが平和だと思っている社会は、ちょっとしたことで崩れてしまうのかもしれない。だからフロムの説には納得がいく。
一方で、全ての人がナチスを支持したとは思えない。当時を生きていた人たちの様子を、マクロではなくリアルに知りたいと思っていた。そうしたタイミングで、ふとこの本が目に止まった。ヒトラーランドという本だ。
ナチスは急に誕生したわけではないし、ヒトラーも急に台頭したわけではない。徐々にその勢力は拡大していったはずなのに、なぜ誰もあの狂気を止められなかったのか。後から知ったかぶった顔で振り返ることは誰にもできる。それならなぜあんなにも明らかな悪を、その時代の当事者は気づけなかったのか。
この本は、ヒトラーの誕生から世界大戦に至るまでを、当時のドイツで目撃していたアメリカ人のインタビューによる証言や手紙、その他未公開の資料を中心にしている。そうすることで、今の時代だからこその分析をせずに、生々しくその時々の空気感を伝えようとしてくれる。
まずなぜヒトラー、ナチスが誕生したのか。極右が誕生するには理由があって、第一次世界大戦に敗北して大きな負債を抱え、困窮するドイツの姿が描写される。
これは今の日本でも同じだと思う。当時のドイツほど困窮しているわけではないけれど、持たざる人が、特権を得ている(ようにみえる)在日の人々にヘイトスピーチをしている様子と被るものがある。
また、当然ヒトラーも最初は無名だった。会う人すべてが彼に何かを見出したわけではない。「彼は凡人である」という感想もたくさん持たれていた。しかし、いつの間にかナチスは拡大していった。けれども楽観主義の人々は気づかないふりをしていた。ポーランドもそうしているうちに、侵攻されてしまった。ユダヤ人の迫害は少しずつ始まっていった。ナチスは戦争を仕掛けてこない、国内で反抗勢力が立ち上がる、そう考えられているうちに世界は戦争に巻き込まれた。ドイツにいるジャーナリストやアメリカの大使がその危険性を発信しても、誰もがいずれなんとかなる、だから気にしないでいいと考えていた。
変わってしまったドイツが一目でわかったのかというとそうでもない。意外なことに、当時のドイツは入国が規制されていなかったので、たくさんの旅行者がいた。だが、その異常性には気づかなかった。たった一週間くらいの旅行では、ユダヤ人にふるわれていた暴力には出会わないのだ。
ドイツ国内ではどんな変化があったのか。メディア統制によるドイツが外国から攻撃を受けているという報道を信じてナチスを支持した人たちもいた。なんの前触れもなく、反ユダヤに転じる人々、ナチスの腕章をつける人々もいた。
改めてわかったことだが、やはり当時の人々が、全てナチスに賛同したわけではないのだ。戦時中は配給になり、満足な食事をとれているものはナチス関係者くらいだったようだ。ゲッペルスがデンマークとノルウェーに侵攻する旨をラジオで流した時、目に涙を溜めて「あのクソッタレの大ほら吹きが!」と叫んだ女性もいる。ドイツの家庭の約半数は家族を失い、悲しみに包まれていた。
でも、自分がその当時のドイツにいたら、ナチスに反対する声はあげられなかっただろう。歯向かうことは恐ろしいことだし、そもそも気づいた時には手遅れだっただろう。
今の日本は教訓を活かせているのか。こんなにヘイトがあふれていて、いつの間にか手遅れになる可能性もある。社会の空気が恐ろしい方向にいき、取り返しがつかなくなる前に、理性をもってそれを止めなければならない。
これはナチスだけが悪という話ではなく、人類が行った愚行であり、それを忘れてはいけないのだ。
- 作者: ハンナ・アーレント,大久保和郎
- 出版社/メーカー: みすず書房
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- メディア: 単行本
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