言いたいことがなにもない

プライベートな日記です

子どもが欲しいとは思っていなかった

子どもが欲しいとは思っていなかった。

子どもなんかいたら、自由で気ままな日々なんて望めない。好きなように本を読んで映画を見て、ゲームして、バンドをやって、好きなものを食べて好きなところに住んで好きなように仕事がしたい。自分が誰かに受け入れられるとも思ってなかったし、別に一人でいいと思って生きていた。だから子ども、いやそもそも結婚自体が、僕には制約としか感じていなかった。

 

そんなことを考えていたのに、一転して今から約三年前に結婚し、すでに一歳半の娘がいる。そこに至るまでは長くなるので細かくは語らないが、端的に言うと、転職や震災といった経験を経て、ようやく僕には大切な両親や友達がいて、さらにはパートナーにも恵まれていたことに気づけた。一人で生きていくだなんてヒロイックな傲慢だと気づいたのだ。

娘が産まれるまでも大変で、例えばいざ産まれるという日、よりよって記録的な大雪が降り、あやうく産院に辿り着けなくなりそうだった。でもその産まれるまでのエピソードも割愛する。

 

 

大事なことをいくつも割愛してしまっている。でもそれよりここで書きたいのは、そんな傲慢だった人間にも父性が芽生えたという、価値観の変化についての話だ。

 

娘が産まれたばかりの頃、すでに可愛くてしょうがなかった。でももしかしたらペット的に可愛く思っていただけかもしれない。そんな僕が今感じているのが父性だとして、それが生まれたきっかけはあっただろうか。きっかけとなるドラマチックなエピソードは、多分ない。
ごく普通の日々に、娘を抱っこして散歩をしていたような時間が積み重なって、自然に芽生えたような気がしている。

 

例えば夜中の寝かしつけ。1歳になるまで、娘はたいてい3時間くらい眠ると、それだけでもう泣きながら起きてしまった。抱っこしてゆらゆら揺らしてやっと眠らせても、布団で寝かせると起きてしまう。奥さんが授乳すると大抵は眠るのだが、それでも眠られずに泣き続けることも度々あった。


そんな夜中は、抱っこ紐で抱っこをして、家の周りを散歩に出かけていた。家の近くにはちょっとした公園があり、緑も多くて静かなその公園を何周も歩いた。夜はしんとして、遠くで車が走る音、風で木の葉が揺れる音や虫の音、歩く時のジャリっとした音、それらしか聞こえない。

春になってもまだ夜は寒い。風邪をひかないように靴下を履かせたり上着を着させてから出掛ける。


生後数ヶ月の娘は、泣くと言っても大声で泣き喚くのではなく、とても弱々しく、ただ小さな声で、悲しい、辛いといったことを訴えかけるように泣く。眠れないのが悲しいだけでなく、お母さんから離れてしまうことも嫌で泣いている。

でも抱っこをしながら走って揺らしてあげたり、背中をさすったり、歌を歌ってあげると次第に泣き止んでくる。しばらくそうしているうちにいつの間にかスヤスヤと眠ってしまう。


僕は子供向けの歌をあまり知らず、エレファントカシマシの奴隷天国とか歌っても教育上よろしくないので、高校生の頃に流行っていたスピッツの曲ばかりを繰り返し歌っていた。眠ったとはいえすぐに家に戻ると、また起きて泣いてしまうので、背中をポンポンとたたきながら30分くらい散歩してから帰った。大変だとうんざりすることもあったけど、寝息の音があまりに安らかなので、まあいいかという気分になる。

 

昼間に抱っこして出かけたときは、できるだけ話しかけながら散歩するようにしていた。すぐに何を話したらいいか分からなくなるので、耳を澄ますと聞こえてくる、どこかで掃除機をかけているような生活の音や風の音、空を見上げた時の雲の形だとかの話をしてあげた。娘と散歩しなければ、それらの音も何もかも、そこにはあるのに気づかなかったものだ。
そうしているうちに、ただ泣くか何かをジッと見ているしかなかった娘も、だんだんと手を伸ばしてきて僕の顔をペチペチたたきながらニコニコするようになってきた。

 

奥さんもリフレッシュのために出かけることが増え、つまり僕一人で娘の面倒を見る機会も増えていった。そうして娘と過ごす時間が増えるにつれ、「赤ん坊ってなんて小さくて弱い生き物なんだろう」と思えてきた。
仕事に行くと、「今頃泣いていたりしないだろうか」なんて気にしてしまうようになってしまった。

その時、これが父性ってやつじゃないかと気づいた。

 

 

 

そうして今、産まれてから一年半が経った。今は赤ん坊というより幼児だ。
平日は毎日ご飯の支度をしたり、洗濯をしたり。土日は娘を連れてどこかに出かけたりしたらもうそれで終わり。

娘は今のところとても元気に育ってくれて、よく笑ってよく食べるし、よく僕らの手や足をつかんで引っ張ってくる。今は家族三人で過ごす時が一番楽しそうだ。もちろんまだまだよく泣く。最近も口内炎ができたと口を押さえて「たーい」と泣いている。そうするとできるだけ柔らかくて栄養があるご飯を作らなければいけない。考えることもやることも増える。

 

 

当然、独身時代のように、本を読んで映画を見て、ゲームして、バンドをして、好きなものを食べて好きなところに住んで好きなように仕事することはできなくなってしまった。

 

 

できなくなったことばかりだけど、自分がいつの間にか忘れてしまっていたものに気づくことが増えた。

 

娘と散歩していると、急にキャハハと笑い、僕らの手を振りきって歩いていくことがある。
どうしたのかとしゃがんで娘の目線に合わせてみると、大人の目線で上から見下ろすと全く何でもない芝生が大草原に見えたり、辺りに蝶々が飛んでいたり、小さな花がたくさん見つかったりする。

そういえば初めて娘が自分の力で歩いた時、震えながらも足を踏み出すたびに「どう?できたでしょ?」と言うかのように自慢げに僕らを見て、そしてその一歩一歩ごとに地球最初の発見をしたかのように嬉しそうな顔をしていた。僕にはなんでもない歩くということが、娘にはただの一歩でさえこれほど新鮮な体験なのか!

 

偉そうに育てているつもりが、なんてことはない、たくさんのことを教わっている。自分の自由は、ほとんどなくなった。でも娘が新しく体験する一瞬が、僕らにも貴重な一瞬になった。自由は差し出したけれど、もっと大きなものを手に入れた気分だ。

 

どれだけ身の回りに美しいものがあってどれだけ毎日が貴重なのか、30年経って思い出した。でも僕が忘れてしまったように、娘もいずれ忘れてしまうのだろう。それもしょうがない。それがおとなになることなのかもしれない。それでも笑ってくれた日々の積み重ねが、彼女の人生を作ってくれると願いたい。

そういえば娘の名前は、お腹の中にいるときに呼びかけていた名前をそのまま名付けた。

もし日本を離れて生きていくことがあっても、きっと呼ばれやすい名前だし、それがよいのではないかと思った。

 

※この記事は2015年8月頃、「ぼくらのクローゼット」というメディアに寄稿した記事です。メディアの閉鎖に伴い、管理者様に許諾を頂いて転載致しました。