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言いたいことがなにもない

プライベートな日記です

自分の乳幼児時代を思い出す

育児 言いたいことがなにもないような日々
まだ娘は生後五ヶ月を過ぎたくらいなので、当然言葉は喋れない。笑っている時はいい。しかし泣いている時、ワーワーと叫んでいる時、この騒乱状態を何とか鎮めるために、今この子は何を思っているのだろうな、と日々考えている。

声の発し方、目の動き、手足の動き、微妙な表情、サインはわずかしかない。だから少しでも理解しようと、ああ自分が幼かった頃、どんなことを思っていたのだろうか、と記憶を辿るのだ。

そうしているうちに、いくつか乳幼児時代の記憶が蘇ってきた。

そもそも、最近思い出したものとは別に、僕の初めての記憶とは何か。
母方のお婆さんの家で、たらいのお風呂に入れられて、とにかく熱くて泣いたことがある。泣きながら、お母さんと、お婆さんを見上げていた。最近母親に確認したのだけど、どうやら母方のお婆さんの家で世話になっていたのは、生まれて間もない頃らしい。

その後の記憶は、三歳の時に飛ぶ。居間に座って、開け放してあった玄関から向かいの道路をぼんやりと眺めていた。
今ではもうほとんど忘れてしまったが、幼少期の頃は、三歳の頃のことをよく覚えていた。

でも、最近になって、乳幼児の頃のことを二つ思い出したのだ。
一つは、ベビーベッドに寝ながら、天井に吊るされていたらしいメリーゴーランドを眺めていたこと。家をリフォームする前の、薄茶色でしみがある天井に吊るされていたメリーゴーランド。三歳の頃にはもうなかったはずた。
もう一つは、庭に面した廊下で、母親に抱っこされて、子守唄を歌ってもらったことだ。この時に感じたことが、幸せや安らぎという感情の始まりだったのかもしれない。ぼんやりと、幸せだったイメージがある。

だが、大人になってからも覚えている幼少期の記憶は、後天的に上書きしてしまったまやかしだともいう。
これらの記憶はまやかしだと言われたら、そうなのかもしれない。けれどもその頃の記憶は、自分の中のどこかに大切にしまわれている気もする。

娘も大きくなるにつれて、今の日々を忘れてしまうだろう。毎日感じたことを、少しずつ過去のものだと理解しながら大きくなっていくだろう。そうしてやがて忘れてしまう。でも、こんな風にいつか思い出すことがあるかもしれない。どうか僕が思い出したような、暖かい気持ちになってもらえないか。と思いながら、泣き止ませるための夜の散歩に出掛けるのだ。