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言いたいことがなにもない

プライベートな日記です

志賀直哉の「和解」は子供が生まれたら理解できると言われて

志賀直哉の「和解」を読んだ。凄まじかったのは中盤。生まれてまだ間もない娘が亡くなるシーンだ。

まずこの物語の主人公は、父親とのイザコザで癇癪を起こして妻を突き飛ばしたり、「あんまりいじめて乳が出なくなるのもよくない」とか吐露するような人物。父親にかなり酷いことも言ったらしい(こういった、実は誰もが持っている心の汚さもあけすけに語るから、私小説は凄い)。まあでもこの頃の時代の小説、夏目漱石でも内田百閒でも、大抵奥さんにこのような態度をとっているようので、これが普通なのかもしれない。

そのような主人公なので、娘が具合を悪そうにしているシーンでも「吐いたんなら今日は乳をやらずに寝かせておけ」とか言っている。でも、娘はいつまでも泣き止まず、だんだん顔色が悪くなってくる。いざこれは危ないと認識した時には、娘を抱えて裸足で飛び出し、膝まで泥塗れになりながら医者の家まで翔けていくのだ。

その後、たくさんの人が東京に医者を呼びに行ったり、氷を買いに行ったりと、娘を助けるために走り回る。しかしその努力も空しく、娘は「あアー、あアー」と弱々しく泣いたまま、息をひきとってしまう。

このシーンを、ただリアルにその情景を描く。娘が亡くなって悲しかった、だとかそういった安易な心情の描写はしない。ただこのようなことがあった、と細やかな観察眼をもって語られる。心情にして吐き出される文章がないために、読者も想像すれば想像するほど、噛みしめるしかない。リアルすぎて「自分の娘がこんな風に具合が悪くなったらどうしよう」と心拍数が上がる。深夜に読んでいたものだから、娘がちゃんと息をして眠っているか確かめてしまった。

残酷なのは、これが志賀直哉の「私小説」であるということだ。このような壮絶な体験をして、それでいてテーマは子供の死ではなく父親との和解に昇華させるというのは、本当に凄いことだと思う。

和解を読んだきっかけ

学生時代に読んだ、三田誠広の「小説の書き方講座」シリーズの中で「和解」が紹介されていた。書き方を学ぶということは、「小説の読み方」を教えてもらうということだ。僕はそれから、もしも自分に子供が生まれたら志賀直哉の「和解」を読もうと思っていた。

 
今この三田誠広の本が手元にないのだが、このようなことが書かれていたと記憶している。
「和解」の主人公は父親と仲が悪い。この主人公の娘が生まれて間もないうちに亡くなってしまう。それを父親に報告に行き、父親は「そうか」と頷く。会話らしい会話はないが、お互いの心が通じあったことがわかる、「和解」したことがわかる、このような物語だ。
自分(三田誠広)には、これで何が「和解」なのか分からなかった。だが、子供が生まれてから分かった。子供を初めて抱っこした時に「ああ、私はこの子が将来どうなっても、私にどれだけ不義理を働いても全て許すだろう」と思った。その時に「和解」の主人公と父親の心情が分かった。お互いに子を持った者として心が通じ合ったのだと理解した。だから「和解」は赤ん坊を抱いて初めて分かる小説である。志賀直哉が小説の神様と言われるのは、全てを説明しないけれど、教養を積んだ人、人生経験を積んだ人、分かる人には分かる小説だからだ。

そして三ヶ月前に子供が生まれたので、いよいよと思って読んでみた。読んでみたら、和解するまでの心情が丹念に書いてあってビックリした。昭和を懐かしむ二時間スペシャルドラマのように、起承転結とカタルシスがあった。全然違うじゃん!違うのは俺の記憶力?ひたすら行間を読ませる話なのかと思っていた。僕に子供が生まれていて、さらに大雑把なストーリーも知っていたから、自然にスラスラ読めたのだろうか。。。?

でも、WEBで和解の感想を色々検索してみたけれど、「なんで和解したのかさっぱりわからん!」というコメントは見かけなかった。だったら一度子供が生まれる前に読んでおけば良かった。

まあいいや。いずれにせよ、子供が生まれていると、この本を読んでいる最中、心に浮かぶ情景はより深いものになるはずだ。

和解 (新潮文庫)

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