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名著と呼ばれる小倉昌男の経営学が面白かった

名著と呼ばれロングセラーを続けている、ヤマト運輸二代目社長だった小倉昌男氏の「経営学」を読んだ。名著と言われるだけあって、確かにとても面白い。

小倉昌男 経営学

小倉昌男 経営学

 

 今は当たり前のように使われている宅急便。事業開始当時、参入は無謀と言われていたのだ。この事業を開始することが、どれだけ冒険的で、そして戦略的で、意義のあることだったのか。そのストーリーを追いながら、経営全般を学ぶことができる。分かりやすくて面白く、ためになる。

そして小倉昌男さんのお人柄がまたいい。きっと誠実で真面目で優しくて、反骨心があり、おそらく少し変わり者な方だったのだろう。とにかく何かを読者に伝えようとする真摯な文体なのだが、これが例えば行政と戦う場面では怒りがにじみ出る。その頃のことを思い出し、若返って怒っているかのようだ。臨場感がある。

 

小倉昌男さんは、とにかく理詰めで考える人だ。

宅急便はもうかるのだろうか。ヤマト運輸が商業貨物の配送業者だった当時、個人宅配市場は未開拓市場で、競争相手となるのは郵便局だけだった。商業貨物が工場や倉庫から販売店への、定期的な大量のルート配送であるのに対して、個人からの宅配物は、毎回出荷先が変わってくる。それも全国あらゆる場所に。そして荷物も少なく、毎度非定型物になるのだ。これでは参入リスクばかりが目につく。同じようにトラックで荷物を運ぶ仕事とはいえ、全然別の仕組みが必要になる。

しかし、「まずは市場の大きさを捉えよう」と、特定の地域で小荷物が一年間に何個くらい出ているかを調査したことで、少なくとも1250億円の市場だと類推できた。需要のある市場なのは間違いないことは分かった。だが、前述のリスクをどう回避すればいいか。課題は集配と輸送のネットワークで、これをどのように構築すればよいのか、なのだ。

宅急便事業を開始するには、全国にこのネットワークを構築するという莫大な初期投資が必要だった。社長の一存で決められるものでもない。まずは成功するための戦略を策定し、ネットワーク像の姿を描き、それから経営陣はもちろんのこと、労働組合から運転手にまで理解を促していく。その物語が語られる。

いくら市場が見込めるとはいえ、相当な勇気と強固な意思がなければ、恐ろしくてとても参入できないだろう。徹底的に理詰めに考え抜かれたからこそ飛び込むことができ、そして皆を説得し巻き込むことができたのではないか。その労力は計り知れないものがある。

 

また随所に誠実なお人柄を感じる。

元々小倉昌男さんには本を書きませんかという依頼がきても断っていたらしい。それが、なぜこの本を出すことになったかというと、障害者が働く共同作業所の経営に役立ててもらおうと、たくさんのセミナーを開催してきたことがきっかけだという。

共同作業所で働いている障害者の報酬が平均して月額一万円にすぎないことを知り、私は非常なショックを受けた。
(中略)
なぜそんなことになるのか。それは、共同作業所の運営当事者の方々は、障害者福祉になみなみならぬ情熱を持っている一方で、「経営」については何も知らなかったからである。そこで考えた。私は福祉のことは何にも知らない。しかしヤマト運輸の経営にあたった四十二年間の経験がある。この経験をお話して、共同作業所の経営に役立てていただこう。

障害者の報酬が少ないという現場を見た時、普通であれば、共同作業所の運営者を批判したり、政府を批判するだろう。批判の後で、それはそれとして自分の生活に戻っていくのではないか。それを「私は福祉のことは知らないが、経営の経験がある」と言って、行動に移すのだ。まず自分にも知らないことがあると認め、出来ることを実践して前向きに変えようと行動するのは、中々できないことだと思う。

 

そして、それだけでなく反骨心がある。

例えば運輸省との戦いが語られる。その頃の日本の配送業では、都道府県の行政区域単位に免許が与えられ、かつ複数の荷主の貨物を積み合わせるのにも免許が必要だった。全国に宅急便のネットワークを作り、たくさんのお客さんからの荷物を積み込むには、これらの免許を取得しなければいけない。だが運輸省に申請をするも、既存業者の反対があるからと申請書類が5年ものあいだ放っておかれたという。しかしここであきらめず、行政訴訟を起こして免許を勝ち取ったらしい。

またそれだけでなく、小さなサイズの荷物の価格を安くしようとしたが、toBの路線トラックと同じ規定にしなければならないと認めてもらえなかったのだ。この件も粘り強く交渉を続けたことで、ついに運輸省から「申請を承知する」との返答を引き出す。しかし1年経過の後も処理は行ってくれなかった。

そこで小倉さんの打った手は何か。安価な宅急便メニューが始まる旨の新聞広告を、実施時期を記載の上で出稿したのだ。そしてその時期がきても処理がなされなかったため、「運輸省が認可しないため安価な新メニューの開始は延期になった」とお詫び広告を出したらしい。こうして世論を味方につけて、やっと運輸省は認可したということだ。

ヤマト運輸は、監督官庁に楯突いてよく平気でしたね、と言う人がいる。別に楯突いた気持ちはない。正しいと思うことをしただけである。あえて言うならば、運輸省ヤマト運輸のやることに楯突いたのである。

なんて反骨心に溢れる痛快な言葉だろう。

規制行政がすでに時代遅れになっていることすら認識できない運輸省の役人の頭の悪さにはあきれるばかりであったが、何より申請事案を五年も六年も放っておいてこころの痛まないことのほうが許せなかった。与えられた仕事に最善を尽くすのが職業倫理ではないか。倫理観のひとかけらもない運輸省などない方がいいのである。

政治家と結託することでもっと早く進めることもできたはずだが、決してそうせずに戦い切ったらしい。そうしてしまうと、ヤマト運輸の対立側も政治家に依頼して、結局お互いの政治家の妥協の末に二で割ったような決着が着いてしまうために、あくまでも正攻法で戦ったというのだ。

今ある宅急便サービスを利用することができているのは、当然小倉昌男さんだけの力ではないだろう。それでもこの小倉さんがいなかったら、今あるサービスの姿とは違っていたのかもしれない。

この本には倫理観という言葉が随所に登場する。だが決して建前だけの、嫌らしい響きには聞こえない。

本は著者との対話だと言う。この本は、まさに小倉氏が一対一で語りかけてくるように思える。これだけの方が語りかけてくれる、貴重で濃密な時間を過ごすことができる。とてもためになった。

 

小倉昌男 経営学

小倉昌男 経営学