食事の情報量
國分浩一郎さんと古市憲寿さんが対談する「社会の抜け道」という本を読んでいて、食事の情報量というフレーズが出てきた。
國分さんはロハスという言葉が苦手で、それもあってか「スローフード」という言葉が無意味だと気付いた、と語る。そのシーンに続いて、
國分 おいしいかどうかというのは情報量の問題だと思うのね。やっぱり、おいしいものって非常に情報量が多い。例えば、最近の果物って、品種改良をどんどんして甘味だけになっちゃてるんだけど、果物の味って酸味とかえぐみとか、いろいろな要素が絡まってでき上がっているわけだよね。そうすると、口の中でその複数の情報を処理するのに時間がかかる。単純な話、つまり処理しなければならない情報の数が少ない味だったら味わうのに時間がかからないから、早く食べられる。味わうっていうのは、情報を一つひとつ受け取って、その一つひとつを無意識に判別したり、総合したりする作業だと思う。おいしい料理っていうのは情報がリッチ、つまりインフォ・リッチである、と。結果として、食べるのに時間がかかってしまう。
古市 なるほど。スローっていうのは、あくまでも結果なんですね。
國分 逆にファストフードっていうのは、要するに、情報が少ないからファストで食べられるんだよ。
ここから続くくだりでは、食にあまり興味の持てない古市さんとの温度差が面白い。
だが変化が出てきたのは複合的な理由がある。
- 奥さんが美味しい料理が好きで、そういう店を探すようになった
- 食べログを使うようになったことで、世間の評判と自分の味覚とを、相対的に見るようになった
- 自分で料理をするようになった
- ある人に、食事をする時に「いただきます」と言って、その材料がどんな風に育ってきたかを想像すると心が豊かになる、と言われた
それまでは「人生は限りがあるから毎食を大事に考えたほうがいいよ」と言われてもピンとこなかった。一食500円以内で過ごす方が効率的で大事じゃん、なんて思っていた。ファストフードの方が手軽だし美味しかった。
今では、ご飯を食べる心持ちが変わった。
味付けはなんだろう、どんな材料が入っているのだろう、あの店と比べるとどう味が違うのだろう。香り、食感、色味、咀嚼する音。料理が入った器の色や形、テーブルの色、その時の音や空気。そして誰と、どんなシーンで食べるのか。昔の僕はたくさんのことに気づいていなかった。ただ認識をすることで、身の回りの世界は大きく変わり、豊かなものになる。食べることくらい、五感を使うことはなかなかなかったのだ。