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言いたいことがなにもない

プライベートな日記です

陰翳礼讃

実家の庭には二十数本の色々な木が密集した茂みがあった。夜は、隣家の明かりや電灯が、薄っすらと庭に陰影をつける。けれどもその茂みの辺りには黒々とした暗闇があり、そこだけぽっかりと別世界が広がっていた。

幼い頃は、臆病で、そこに近づくことさえできず、外に出られないどころか、窓越しにその暗闇に目を向けることさえできなかった。
 
大学生の頃から東京で暮らしている。東京はどんな道を歩いても、どこかしらに光源がある。真夜中でも明るい。
 
暗闇を無くそうとするのは西洋文化的なのかもしれない。谷崎潤一郎による陰翳礼讃という本がある。この本では、日本人が暗闇と生きてきたこと、暗闇の中で生える美を見出してきたことが語られる。
 
それは幾重もの「闇」が堆積した色であり、周囲を包む暗黒の中から必然的に生れ出たもののように思える。派手な蒔絵などを施したピカピカ光る蝋塗りの手箱とか、文台とか、棚とかを見ると、いかにもケバケバしくて落ち着きがなく、俗悪にさえ思えることがあるけれども、もしそれらの器物を取り囲む空白を真っ黒な闇で塗り潰し、太陽や電燈の光線に代えるに一点の燈明か蝋燭のあかりにして見給え、忽ちそのケバケバしいものが底深く沈んで、渋い、重々しいものになるであろう。
 
私は、吸い物椀を手に持った時の、掌が受ける汁の重みの感覚と、生あたゝかい温味ぬくみとを何よりも好む。それは生れたての赤ん坊のぷよぷよした肉体を支えたような感じでもある。……漆器の椀のいゝことは、まずその蓋を取って、口に持って行くまでの間、暗い奥深い底の方に、容器の色と殆ど違わない液体が音もなく澱んでいるのを眺めた瞬間の気持である。人は、その椀の中の闇に何があるかを見分けることは出来ないが、汁がゆるやかに動揺するのを手の上に感じ、椀の縁がほんのり汗を掻いているので、そこから湯気が立ち昇りつゝあることを知り、その湯気が運ぶ匂に依って口に啣む前にぼんやり味わいを豫覚する。その瞬間の心持、スープを浅い白ちゃけた皿に入れて出す西洋流に比べて何と云う相違か。それは一種の神秘であり、禅味であるとも云えなくはない。
 

この本を読むと、あれほど怖かった暗闇が神秘的に思えてくる。

それですぐに影響を受けてしまって、夜中になってから部屋の灯りを消してみたりする。外からは隣のマンションの灯りが入り込み、むしろ陽気な気分になってしまった。どこかから、何者かが俺を覗き返しているという想像力さえ働かないくらい。

陰翳礼讃 (中公文庫)

陰翳礼讃 (中公文庫)