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言いたいことがなにもない

プライベートな日記です

おおかみこどもの雨と雪感想(ネタバレあり)

見てきました。すごかった。酔っ払った勢いで推敲もせず感想を書きます。

 

ものすごいドラマチックなことがあるわけでもなく、ただの母親の話なのに、すごく心をかき乱されるものがある。

見た後で、とにかくこれはすごいと思ったんだけど、どうにもうまく考えがまとまらず、帰ってきてから色んな人のブログに書き綴られた感想を読んだ。

それでわかったのは、見る人によって母親である花の視点だったり、子供である雨と雪の視点であったり、結構変わるということだ。

あとは、「母親が急に田舎で暮らすって、それむしろ子供のためによくないでしょう」「田舎ってそんなもんじゃない」「ストーリーがご都合主義的」という意見もあった。

 

でも、僕はこの映画ではストーリーのご都合主義は気にしなかった。映画とは、何を主題にするかによって、リアリズムのハードルが変わるからだ。そもそも映画にご都合主義を突っ込んだら何も描けない。

 

例を示すと、ダークナイトではものすごいリアリズムをつきつけられたが、ダークナイトライジングはアクションファンタジーだったので、僕はリアリズムを感じず悲しかった。

そもそもバットマンやヴィランが出てくる時点でリアリズムっておかしいだろう、という話だけど、ダークナイトで書かれていた個人の悪と正義というテーマでは、あのジョーカーの狂気と、それに対抗するためのバットマンの狂気と自己犠牲には、現実を侵食するだけのリアリズムがあった。だがダークナイトライジングには、テロと恐怖政治という、個人の悪と正義から一歩進めたテーマがあったのに、その中心となるテロ計画や敵の描写がどうしようもなかったので、リアリズムに欠けたアクションファンタジーでしか無かった。

 

では、僕がこの「おおかみこどもの雨と雪」の主題は何だと思って、ご都合主義的展開も気にならなかったかといえば、これは母親の凄さを書きたかった映画なのでは、と思ったのだ。そういう意味では、雨と雪は物語のためのパーツでしか無いのだ。

だから、「おおかみこどもは予めマイノリティとしか描かれない」ことも、「母親が自然出産する危険さ」も、「田舎のような場所で協力者を得てしまうような、花の性格の美しさやポジティブさの描写が薄い」ことも、そういったあらゆることがどうでもいい。それらは、母親の凄さを語るパーツでしか無い。

 

なんでも結びつけるのはよくないが、僕はあの痛ましい震災の影響を見てしまう。どんなファンタジーも吹き飛ばすくらいのカタストロフィーには、生半可な物語では乗り越えられない。とにかく強く希望をもった物語を語るしか無い。さらに、現実の人に、強いメッセージを送らなければならない。そうすると、個人の強さを突き詰めて希望と世界を語るという手段がある。そうすると、母親の物語は、強い話になるだろう。

 

そう考えると、「母子家庭であること」「おおかみこどもというマイノリティを抱えて生きること」「色んな生き方を許してあげる事」「どんな自然の中でも子供を育て上げること」は母親の強さであり、同時に母親を語るには、「子離れ」が切り離せないので、そのために雨と雪、それぞれの大人になる方法が語られるのだ。そして子離れを認める、遠くからでも見守っている、母親の強さと寂しさが語られるのだ。

 

それによって、これからどんな悲劇があっても、「人には(一般的には)母親の無条件の愛がある」こと、またこの映画をみる親たちには、「どんなに離れても子供を見守っている親の強さへの共感」が語られる、それらがこの映画に託された強い希望ではないか、と思った。

 

でも明日にはまた違った感想を持つかもしれない。とにかく、すごい作品だった。たくさん泣かされたし、面白かった。