言いたいことがなにもない

プライベートな日記です

娘が2歳になった

娘が2歳になった。


誕生日の前日が休日だったので、家族3人でホットケーキを作った。奥さんが材料を準備してホットケーキを焼き、僕がフルーツを切って洗い物をした。娘は椅子の上に立って奥さんと一緒にボールの中の粉をかき混ぜたり、ホットケーキの種をフライパンに流し込んだりした。そういえば、これは家族3人による初めての共同作業だったかもしれない。


隣で「しろくまちゃんのほっとけーき」という絵本を読み上げて、今この作業をしているんだよ、と教えながら作った。ニコニコと楽しそうに、そして全ての作業を興味深そうに観察しながら、大人たちのお手伝いをしていた。包丁も泡立て器もフライパンも初めて触った。そうして出来上がったホットケーキを見てどう思ったのだろう。


1歳になった時は、ようやくここまで来たか、という達成感のようなものを感じたし、娘が大きくなっていくことを数字として実感できた。
1歳になるまでの間には、今日は寝返りができるようになった、今日はハイハイができるようになった、つかまり立ちができるようになった、1人で立てるようになった、そのような娘が突然に大きな成長をしていく様を見ながら、ついに1歳という記念日を迎えていた。


それに比べると、2歳の誕生日には正直1歳の時ほどの達成感、節目感のようなものはない。
なぜかといえば、1歳になるまでのような「今日急にこれができるようになった!」という変化ではなく、少しずつ成長していく様を見ていた一年間だったからだ。


いつの間にか走れるようになっていたし、ジャンプができるようになったし、会話のようなものが成立するようになり、歌も歌えるし、歯磨きやうがいも手洗いも、ズボンを履いたりもできるようになった。当然料理も少し手伝えるようになった。ある日突然何かができるようになったのではなく、少しずつ歩く速度を速めていって、いつの間にか走れるようになっていったのだ。泣いてばかりいた娘は、笑っている時間の方が多くなった。


こうして振り返ると、まだ2歳ながらにして子供と過ごせる期間というのはごくわずかなものだと思う。あっという間に2年間が過ぎた。親になったことに戸惑い、1人の命を預かる重圧を感じながら、右往左往している間に時間が経っていた。何もかもが分からなかったし、全てが新鮮だった。濃密な2年間で、人生で最も幸せな2年間だった。すでにして過ぎた2年間が愛おしい。これからもそうであってほしい。


世の中はクソみたいなものだとずっと思ってたし、今でもまだそう思っている。これからもこんなくだらない世の中にできうる限り迎合なんかしたくねえぞと思ってる。だからこそ、これから娘が生きていく人生のために、少しでもマシなものに、美しいものに出会えるように、自分の手の届く範囲で世の中を変えたいと思えるようになった。自分の細胞が入れ替わった感じがしている。