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言いたいことがなにもない

プライベートな日記です

娘が2歳になった

娘が2歳になった。


誕生日の前日が休日だったので、家族3人でホットケーキを作った。奥さんが材料を準備してホットケーキを焼き、僕がフルーツを切って洗い物をした。娘は椅子の上に立って奥さんと一緒にボールの中の粉をかき混ぜたり、ホットケーキの種をフライパンに流し込んだりした。そういえば、これは家族3人による初めての共同作業だったかもしれない。


隣で「しろくまちゃんのほっとけーき」という絵本を読み上げて、今この作業をしているんだよ、と教えながら作った。ニコニコと楽しそうに、そして全ての作業を興味深そうに観察しながら、大人たちのお手伝いをしていた。包丁も泡立て器もフライパンも初めて触った。そうして出来上がったホットケーキを見てどう思ったのだろう。


1歳になった時は、ようやくここまで来たか、という達成感のようなものを感じたし、娘が大きくなっていくことを数字として実感できた。
1歳になるまでの間には、今日は寝返りができるようになった、今日はハイハイができるようになった、つかまり立ちができるようになった、1人で立てるようになった、そのような娘が突然に大きな成長をしていく様を見ながら、ついに1歳という記念日を迎えていた。


それに比べると、2歳の誕生日には正直1歳の時ほどの達成感、節目感のようなものはない。
なぜかといえば、1歳になるまでのような「今日急にこれができるようになった!」という変化ではなく、少しずつ成長していく様を見ていた一年間だったからだ。


いつの間にか走れるようになっていたし、ジャンプができるようになったし、会話のようなものが成立するようになり、歌も歌えるし、歯磨きやうがいも手洗いも、ズボンを履いたりもできるようになった。当然料理も少し手伝えるようになった。ある日突然何かができるようになったのではなく、少しずつ歩く速度を速めていって、いつの間にか走れるようになっていったのだ。泣いてばかりいた娘は、笑っている時間の方が多くなった。


こうして振り返ると、まだ2歳ながらにして子供と過ごせる期間というのはごくわずかなものだと思う。あっという間に2年間が過ぎた。親になったことに戸惑い、1人の命を預かる重圧を感じながら、右往左往している間に時間が経っていた。何もかもが分からなかったし、全てが新鮮だった。濃密な2年間で、人生で最も幸せな2年間だった。すでにして過ぎた2年間が愛おしい。これからもそうであってほしい。


世の中はクソみたいなものだとずっと思ってたし、今でもまだそう思っている。これからもこんなくだらない世の中にできうる限り迎合なんかしたくねえぞと思ってる。だからこそ、これから娘が生きていく人生のために、少しでもマシなものに、美しいものに出会えるように、自分の手の届く範囲で世の中を変えたいと思えるようになった。自分の細胞が入れ替わった感じがしている。

教育における非認知的スキル

娘がどうしたら幸せに育つのか、いうのはもちろんのこと、子どもの貧困問題もずっと気になっていることもあって、しばらく幼児教育関連の本を読んでいた。

幼児教育、子どもの教育にはトレンドがあるようで、本によって真逆のことを言っていることもある。学術的に真逆な結論が出ているだけでなく、教育という分野はあらゆる人が専門家風になるから「おっほん私の考えではねえ〜」という偉い人の感覚や自らの経験が大きな声になってしまったりもする。こればかりは徹底的に科学的な論考と統計にもとづいて、何が正しいのかを見極めていくしかないようだ。ちなみに「学力の経済学」には、日本の教育は統計的な結果よりも、偉くて声のでかい人のご意見が反映されるという状況が書かれていて暗い気分になる。

 

「学力」の経済学

「学力」の経済学

 

認知的スキルと非認知的スキル

その「学力の経済学」にも書かれているが、最近はこれまでの教育で重視されてきた認知的スキルより、もっと非認知的スキルに着目すべきという話になっている。

認知的スキル、非認知的スキルとはなにか。

認知的スキルはIQや学力的検査によってはかられるものだ。対して非認知的スキルとは、肉体的・精神的健康や、忍耐力、やる気、自信、協調性といった社会的・情動的性質であるという。つまりは、EQや人間力、生き抜く力のようなものだ。


主にジェームズ・ヘックマンという教授が提言しているのだが、幼少期に非認知的スキルを伸ばすことは自制心ややり抜く力を伸ばすことにつながるという。それが学力に影響するのはもちろんのこと、大人になった時の年収の高さ、さらには逮捕率や飲酒率にさえ影響を与える結果が出ているという。偏差値を上げようとして、非認知的スキルを伸ばすような友達との時間や部活動の時間などを奪ってしまうと本末転倒だよ、ということだ。


そして学力を上げるだけでなく問題を抱えるリスクが減る。これは過去のアメリカで、犯罪率と貧困率の高い地域の幼児にしっかりと教育を行ったいくつかのプロジェクトが行われたのだが、その後プログラム受講者の人生を追ってみた結果分かったらしい。詳細はヘックマン教授の本にも詳しいが、端的にはこのリンク先にも書かれている。

「幼児教育」が人生を変える、これだけの証拠 | 子育て | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準

貧困は次の世代にも引き継がれてしまうというのが一般的な定説だが、幼児教育をしっかりと受けた子どもたちのその後を追うと、同地域の子供達よりも年収を上げ、逮捕率も低かったというのだ。 


そうすると、先ほど書いたように、非認知的スキルは生き抜く力と言い換えてもいいだろう。


生き抜く力の重要性

生き抜く力が育っていないとどうなるのだろうか。幼児期の強いストレスが大人になってもトラウマを残すというのはもはや当たり前と認識されている。アニメやドラマでもそんな登場人物はたくさん出てくる。

実際に子供時代の逆境を数値化したもの(ACE)とアルコール依存症や自殺率などには相関性があるそうだ。それどころか、過度な飲酒や過食、喫煙という行動をとっていないとしても、成人後の健康に悪影響をおよぼすという結果も出ているそうだ。人間のストレス対応システムは酷使すればやがて壊れてしまうのだ。

しかしこれは回復不能というわけではなく、アタッチメント、つまり愛情によって回復すると言われている。

ちなみにこの本では、これらの調査とその歴史がまとまっている他、過去の逆境と戦って回復しようと必死で努力する子どもたちの事例も紹介されている。

成功する子 失敗する子 ― 何が「その後の人生」を決めるのか

成功する子 失敗する子 ― 何が「その後の人生」を決めるのか

 

 

一方でヘックマン教授の調査には批判もある。例えばヘックマン教授の提言は、ペリー就学前プロジェクトとアベセダリアンプロジェクトという2つのプロジェクトに由来するが、サンプル数としての子どもの数は合計約100人と、あまり多くはない。

それならばと同様の実験を大規模なサンプル数で展開してみたものの成果が見られなかったケースもあるのだが、これらの否定的な成果は提言に加味されていないというのだ。

幼児教育の経済学

幼児教育の経済学


この本では、前半でこのようなヘックマン教授への批判も含めた様々な幼児教育専門家のコメントを紹介し、後半でヘックマン教授がそれらに回答する、という構成をとっている。そのような透明性には信頼がおける。 


もちろん子どもの教育において、そもそも非認知的スキルが重要であるということはほぼ自明であって、それ自身が批判がされているわけではない。

 

教育とビジネススキル 

教育に何が重要なのかは時代にあわせて変化しているかのようだ。大きくはビジネススキルに求められるものの変化が教育に影響を与えているように見える。


大量生産・大量消費の行動成長期に求められていたスキルとは、たくさんの物事を効率的に処理することであったり、特定の分野への高い専門性だった。それは学力検査で高い点数を出すことで適性を判断できただろう。

しかし現代では処理ベースの仕事はコンピューターに任せればよく、むしろ個々の才覚に応じて様々な状況に対応することが求められつつある。突き抜けた専門家でないのなら、むしろジェネラリスト的気質のほうがニーズが高いように思う。だから非認知的スキルが求められているのではないだろうか。


そうして未来の働き方を考えていくと、エンジニアリングスキルが重要になるに伴って、科学的アプローチができる教育こそ必要である、となっているかもしれない。 



そんな風に様々な意見があるので、最終的に何を信じるかに近そうだ。大人が信じたことで、将来の娘に後悔はさせたくないけれども。

でもとにかく幸せな幼年時代を過ごせるように、どうやったら今日は笑ってくれるかとかは考えている。


  

子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)

子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)

 

 

野菜のソムリエがいる下北沢の隠れ家レストラン

数年前に下北沢に住んでいた。引越し当日かその翌日くらいに、引越しを手伝ってくれた女性、それは今の奥さんなのだけれど、彼女へのお礼をご馳走するために尋ねたレストランがある。

今思い返せば、この店を尋ねたことがきっかけで、しっかりと手をかけて作られた料理への意識が生まれた気がする。


引越しの片付けも落ち着き、ネットで色々調べていると、野菜のソムリエがいる店がという文字が目に入り、これは奥さんも喜びそうな店だと予約の電話をした。

今思えば、いざ土日の当日に電話をして入れたのは奇跡に近い。もしかしたらオープンしてからそれほど間も無く、この店もまだあまり知られていなかったのかもしれない。


その店は下北沢北口のひっそりとした路地裏にあり、レンガ調の階段を上った二階にある。ドアを開けると10名も入ればいっぱいになるこじんまりとした屋根裏のようなお店で、店員はシェフとウェイトレスの男女2人だけ。端から端まで全てに目を届く距離感だ。少し暗めの橙の灯りの中で、テーブルの上に飾られた花も細やかでこだわりが見られた。


当然ながら、料理も全てに気が配られていた。まず、野菜のソムリエって大袈裟じゃんと正直疑っていたような僕に、野菜というのはこんなにも美味しいのか!と気づかせてくれた。30にもなって、味の濃い料理さえ食べていれば美味しいみたいな価値観の人間に、美味しい野菜とは何かを教えてくれた。美味しい野菜はみずみずしく、歯ごたえがよくて独特の爽やかな甘みがある。

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そして、その素材の良さを調理によってさらに掛け合わせてレベルアップさせてくれる。口に運ぶほど、身体中に新鮮さが行き渡る感覚があった。そして野菜が主役ながらも、パンからコーヒー、肉や魚まで、全てにこだわりがあった。


帰る時にはシェフが外まで見送ってくれた。実は「野菜のソムリエがいるレストランなんて最近流行りのエコやらロハスに飛びついた店だろ」なんて内心で馬鹿にしていたことを心の中で謝りながら帰った。


それから何回か、奥さんや友人をもてなす時に連れて行ったりした。


僕は牛丼でもカップラーメンでも全然満足して食べられる。でもこういった職人が修行の成果として魂を込めて作った料理を食べると、美味しいだけでなく身が引き締まる。行こうとしたら、シェフが料理の修行に出掛けてしばらく閉店していたなんてこともあった。


大切な人たちが、美味しい料理を食べて笑顔を見せてくれた瞬間というのは強く記憶に残っている。このようなお店は高いけれど、思い出を買うには安いものだ。もう数年間訪問していないので、その味も見た目もぼんやりとした記憶になってしまったが、みんなが喜んでくれた感覚は覚えている。


今は下北沢も離れ、子供も生まれたので、再訪はなかなか叶わない。これだけ時が経てば、僕が記憶する姿とは違ったものになっているかもしれない。でもいつかまた行きたいと、ずっと思っている。


r.gnavi.co.jp

 

「行ってみたいお店・レストラン」by みんなのごはん
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/gnavi201512

この半年読んで面白かった本10冊まとめ(2015年7~12月まで)

毎年「今年読んで面白かった本」を10冊選んでブログに書いている。去年からは半年に一回まとめるようになった。

今年読んで面白かった本10冊 - はてなの広告営業 mtakanoの日記(2010年)

今年読んだ本のマイベスト10 - はてなの広告営業 mtakanoの日記(2011年)

今年読んで面白かった本10冊(2012年) - はてなの広告営業 mtakanoの日記

今年読んで面白かった本10冊(2013年) - 言いたいことがなにもない

面白かった本10冊まとめ(2014年1月~6月まで) - 言いたいことがなにもない

面白かった本10冊まとめ(2014年7月~12月まで) - 言いたいことがなにもない

この半年読んで面白かった本10冊まとめ(2015年6月まで) - 言いたいことがなにもない

 この半年も、色んな面白い本に出会えた。中でもうち10冊をまとめてみる。しかし、なんでこんなに微妙にタイトルを変更しているのだろう。。

 

学力の経済学

このように、学術的に相関関係が成り立つ教育施策が紹介されている事例を読むと、いかに日本の教育が統計や論理に基づいていないのかと思う。子育てや教育は、誰もがそれに関わってきたものだから、誰もが専門家になり、感情的で直感的で、さらには伝統に沿った思考停止な判断がなされてしまう。この本ではそれについての警鐘が鳴らされる。

ただ、読めば読むほど、では自分の子供をどうするか?を考えると、一言で言えば子供の勉強にしっかりと時間とお金を費やしてあげる、という結論になるのがやるせない。まあそれはしょうがない、そのために日々頑張るしかないよな…。一方で子供の貧困という現状を知るほど、未来に絶望的にもなる。

他の幼児教育の本にも書いてあったが、子どもの学力においては非認知的スキルを身につけることが大事、という説もトレンドになっている。しっかり子供に目を向けて、1日1日を大切に過ごしていきたい。

 

「学力」の経済学

「学力」の経済学

 

 

愉楽

中国から生まれた発禁?相当のマジックリアリズム小説。実際に発禁になったのかな。

前半はその長さに挫折しそうになるが、後半は一気読みだった。障害者たちだけで暮らす村にもたらされた共産主義と政府の手によって、村の平和を破壊されていく様が、寓話的に中国のある側面を暴いてみせる。障害者による絶技団、レーニンの遺体の購入による再建計画、完全人の嫉妬と模倣、一人の優れた美貌を持つ娘の妖艶さ、お金による人の変貌など、この小説の中にあまりにも多くのメタファーが込められている。正しく小説によって構築された一つの世界。
作者のあとがきで、書くことは苦痛でしかないがどうしても書かずにいられない、という業が告白されているが、それもうなづけるくらい、作者の血が流れている本だった。

 

愉楽

愉楽

 

 

ワーク・ルールズ!

日本語訳を待ちに待っていたGoogleの人事についての本。ちょうどたくさん面接をしていた時期だったということもあり、とてもためになった。

仕事に意味をもたせる、人を信用する、自分よりも優秀な人だけを採用する、発展的な対話とパフォーマンスよマネジメントを混同しない、二本のテールに注目する、カネを使うべき時は惜しみなく使う、報酬は不公平に払う、ナッジ、高まる期待をマネジメントする、そして楽しむこと。どうやって採用面談に望むか、面接の質問の仕方、みんなで教えあうこと、業績評価、報酬やインセンティブ、ナッジによる示唆など。

これらはなにもGoogle独自の施策ではない。しかしGoogleが何よりもすごいのがトライアンドエラーとABテストを繰り返し、統計的に改善を試みていることだ。そしてGoogleのミッションを信じていること。人事や採用の考え方だけでなく、マネジメントにおいても勉強になった。 

 

 

悪霊

自分の一番好きな小説。今までに繰り返し読んできたが、今回読んだのは5年ぶりだった。自分が歳をとったからなのか、亀山さんの訳が分かりやすいのか、これまで何度も読んできた本のはずなのに、新たな気づきも多く、世界も広く感じられた。

 

悪霊 1 (光文社古典新訳文庫)

悪霊 1 (光文社古典新訳文庫)

 

 

世界最高のリーダー育成機関で幹部候補だけに教えられている仕事の基本

GEで教えられている仕事の基本について。仕事の基本とはいえ、GEの人々なので、語られる目線はマネジメント、経営層向けくらいに濃い教育内容。この本から得たものはいくつもあるが、最も大きかったのは、自分の仕事におけるキーワードを3つ書き出すというもの。うち1つは「貢献」で、これまで考えてきたことが腑に落ちて、そしてこれからやっていきたい方向性が定まってきた。 

 

  

ニッポンの貧困 必要なのは「慈善」より「投資」

そもそも格差というものは生まれてしまうものであるが、貧困は根絶しなければいけないものだ。全てはその前提によって語られなければいけない。なぜか自己責任がまかり通ってしまうが、これを経済の観点でとらえたとしても、貧困問題にかかっているコストが解消され、その上労働力が増えて税収が増すことから考えても当たり前だ。

この考え方が日経ビジネスで語られたことに意味がある。貧困に同情的な視点に偏って書かれるのではなく、徹底してジャーナリスティックに貧困の現状を見つめた姿勢がすごい。貴重な本。

 

ニッポンの貧困

ニッポンの貧困

 

  

人工知能は人間を超えるか

とにかく分かりやすい。コンピュータが知能を持つ上でこれまでできたこと、できなかったこと、限界だったことがまず整理される。それからディープラーニングによってコンピュータが概念を学べたことがどれだけ大きな進化だったのか。そして、日本は改めて人工知能に力を入れるべきと提言される。僕のような非エンジニアにもディープラーニングとは何か、そして人工知能の現状が大まかにわかる凄い本。 

 

人工知能は人間を超えるか (角川EPUB選書)
 

 

チェルノブイリの祈り

めくった二、三ページですでに圧倒された。チェルノブイリを経験した人たちへのインタビュー集と言ってしまうと一言で済む。しかし、まず一人一人の言葉が重い上に、これらの人からコメントを引き出し、このように一冊にまとめた手腕がすごい。圧倒される本だった。ただインタビューをまとめた退屈な本ではなく、全ての人に全く違った物語と語り口がある。あまりにも悲しすぎる。

チェルノブイリの恐ろしさについて、全く分かっていなかった。しみじみとその悲劇がどれだけ凄まじいものだったのか伝わってくる。

 

チェルノブイリの祈り?未来の物語 (岩波現代文庫)

チェルノブイリの祈り?未来の物語 (岩波現代文庫)

 

 

Wonder

絶対泣くだろう、泣かせにくるだろうと思わせるシチュエーションと登場人物。顔に重度の障害をもって生まれてきた子供が初めて学校に入学し、成長する物語。

この世にある悪意、差別が突きつけられるけれど、決してそれだけでなく優しさや善意も溢れていることを教えてくれる。単なるいい話ではなく、正直さ、真摯さがあった。

ワンダー Wonder

ワンダー Wonder

 

 

カラマーゾフの兄弟

あの亀山郁夫さんが書かれたのだから、カラマーゾフの兄弟の続編かな、と思ったけどそうではなかった。1995年という阪神大震災とオウムに激震が走った年の日本を舞台に変え、カラマーゾフの兄弟のオマージュとして登場人物もストーリーも重なりながら進んでいく。どこかカラマーゾフの兄弟というより、シンボル的に現れるアイテムだったり、登場人物の精神的な旅の様子が村上春樹のようだ。

最初はなんだかカラマーゾフの兄弟の同人誌みたいだ、と正直気恥ずかしく読んだ。だが読み進めるうちに、これはオマージュであり、リライトであり、ドストエフスキー論であり、カラマーゾフの兄弟の講義であり、亀山さんの自伝であり、アバンギャルドな実験小説だと気づかされる。下巻くらいからは物語に引き込まれた。

読んでいるうちに、カラマーゾフの兄弟自体への理解が深まった気がした。

 

新カラマーゾフの兄弟 上

新カラマーゾフの兄弟 上

 

 

今年はビジネス書だけでなく、小説をしっかり読もうとし始めていた期間だった気がする。あとは、子供の教育、子供の貧困問題を結構読み続けている。この問題について何かできないかなあと思っている。 

文章の力に圧倒された記事 ハイパーリンクチャレンジ2015 #HyperlinkChallenge2015 #孫まで届け

先般よりハイパーリンクチャレンジという各自が今年一番面白かった記事を紹介するという取り組みが開催しており、これに様々な有名ブロガーさんが参加されている様子からよしこのハッシュタグを追っておもしろいブロガーさんを見つけて楽しもうと高みの見物をキメていたらサイボウズ藤村さんからメンションが飛んできてしまった、全く関係ないけど藤村さんは先日僕らが開いた方の飲み会に来られませんでしたよ。

 

 
昨年から編集者やブロガーの方とお会いする機会、仕事する機会が増えてきました。カッコイイと思っている編集者の一人が藤村さんです(恥ずかしいから面と向かって言ったことはないけど)。編集という仕事への向き合い方がストイックだと思います。だから、僕が書いた記事が彼に選ばれるのは嬉しくもあるのだけど、何の間違いなんだという気さえしてしまう。でもありがたく喜んでおきます。藤村さんへのコメントがあるものだから、ですます調が混じってしまうけど、ここからはである調にしたいと思います、である。
 
 
それにしても、今年は例年より面白い記事をたくさんWEB上で読めたように思う。つまらないデマ記事のようなコンテンツも激増しているけれど、それ以上にすごい記事、面白い記事、シュールな記事をたくさん読めた。色んないい記事があって、選ぶのがとても難しい。とそう思っていたら、ふと「あの記事の文章がすごすぎて圧倒されてしまった」というものを思い出した。
 

2015年に印象に残る、文章力で圧倒された記事

 
その、最も印象に残っているのはポリタスに載っていた高橋源一郎さんの記事。
 
 
この企画の趣旨で、よりによってプロの作家を選ぶのか、というのはあるけれど、あまりにも圧倒的すぎた。こんなすごいものをタダで読んでいいのか。
ここまで文章の、そして言葉の隅々にまで気迫と緊張感がみなぎっているものには中々出会えない。構成も「それとそれが繋がるのか」というものだし、臨場感もある。読んでいるうちにいつのまにか息を詰めていることに気づく。
 
 
 
ここからは、その他にどうしても紹介したい記事をいくつか。
まずは平民新聞さんのこの記事。
 
 
藤村さんに褒めてもらった僕の記事は、テーマこそ決めていたものの、どのような構成にしようかとずっと考えていた。そんな時にこの記事に出会った。とにかく共感できたし、そして文章の素朴な美しさに感動した。この記事の影響を受けないように書くことに苦労した。
  
 
 
その他、ARuFaさんの記事は全てがあまりに面白く、どれが最高だと選べなかった。だってどれも最高だし。
 
 
DPZのこの記事は、とにかく異常なものを読んだという感想だった。すごすぎる。
 
 
今年はヨッピーさん、ARuFaさんを始めとした、バーグハンバーグバーグの皆さんから本当にすごいクオリティの記事が毎週のように出てきたので幸せだった。僕の一番好きな媒体はしばらく前からジモコロで、ほぼ全ての記事を読んでいると思う。更新されると元気が出る。
 

自分が書いた、印象に残っている記事

 
自分が書いた記事は、藤村さんも推薦してくれたこちらの記事。ぼくらのクローゼットという媒体に寄稿した。
 
生まれて初めて寄稿をすることになったので、緊張してテーマを決めてからも一ヶ月以上校正したり書き直しをしていた。そしたらたくさん読まれてよかった、というかあまりに読まれ過ぎて驚いた。
 
 
良い経験だったし、たくさん記事を書かれているライターやブロガーさんはすごいな、と思えた。そんなにたくさんの量は書けない。文章で自分を表現する人たちへの尊敬の念が一層強まった。
 
久しぶりに読み返してみたけど、恥ずかしくて途中で諦めてしまった。公にしてしまうと自分の記事はもう読むことができない。褒めてくれた人たちに申し訳ない。
 

次にハイパーリンクチャレンジをまわしたい人

 
もう僕が知っている編集の方たちはほとんどこの企画に参加されているので、こういう企画にあんまり参加されなさそうな人を選んでみました。好きなブロガーでもあり、そしてこの方たちが、どの記事を選ぶのか興味がある、という皆さんです。
 
 
一人目は暇な女子大生さん。彼女の書かれた記事の中で、一番すごいなと思うのはこれなのですが、残念ながら昨年の11月の記事でぎりぎり今回の対象外だった。マンネリ化してもよさそうなものなのに、いつも新しい引き出しの面白さが出てくるように思います。
 
シロクマの屑籠を書かれている精神科医のシロクマ先生。あのシロクマ先生がどのような記事をどのような論評で選ぶのか、気になります。
 
いつもロックンロールなフミコフミオさん。フミコさんの勢いのある文体がずっと好きです。
 
みんなはてなブロガーになってしまった。書いてくれたら嬉しいなあ。どうだろう。
 
この企画の経緯はこちらです。

inkyodanshi21.com

 

他に参加されている皆さんはこちらでご覧いただけます。

togetter.com

FIXされていた人生のこと

ある程度の年齢が過ぎると人生がFIXされたものになるのです、と言われた。

そのときは、僕には実感が湧きません、なぜならこれまでフリーターになったり、結婚して子供ができたり、今はベンチャー企業で一年ごとにやることが変わっていったりしているからかもしれません、と答えた。
そうしたら、それはFIXしていないことがFIXしているんですよ、と言われた。
その時は、分かったような気もした。でも心のどこかでレトリックのように感じた気もする。ずっと一年先の自分がどうなっているかは想像もできずにいたのが、最近ようやく子供ができて先の展望を考えられるようになった。それくらいに自分の人生が定まっていないと感じる。

それから少し時は過ぎて、興味を持ったとある資格について、取得する方法を色々と調べていた。その資格を持ちつつ今の仕事に応用させれば、新しい価値で世の中に貢献する仕事ができるのではと思ったのだ。だが、資格の取得には約一ヶ月の実習が必要だということが分かった。
一ヶ月仕事を休むのはかなり難しい。つまり僕がその資格を取得して、新たなチャレンジができる可能性はこれからも非常に低い。
けれどもこれが5年前ならどうだっただろうか。

その資格を取ろうと思ったのには、他にもいくつか理由がある。一つには、専門的なスキルがないというコンプレックスがある。

けれども、専門知識をひたすら積み上げて鋭くさせていく、そんなFIXされた人生を、もう俺は送ることができないということに気づいた。
その方の仰る意図とは違ったかもしれないが、ずっとこんな風に悩みながら居場所はないかと生きていくんだなと思った。

15年ほど前までは、特別なチャレンジをすることなく、安定と安穏の満ちた心穏やかな生活を送ることを望んでいたというのに。どこかでそうはなれなくなった。